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子どもとのすれちがい

はじめに〜すれちがいを恐れずに無理をしないで〜

「出会う」ための四つの原則

子どもたちと「出会う」(1)〜生活・文化を知ること〜

子どもたちと「出会う」(2)〜思いや願いをつかむ〜

子どもたちと「出会う」(3)〜仲間関係に実践の視点を〜

.子どもたちと「出会う」(4)〜教師自身が自らを解放する〜

おわりに

□ 塩崎義明/雑誌「生活指導」1996年11月号掲載 □

6.子どもたちと「出会う」(4)〜教師自身が自らを解放する〜

最後に、教師自身が管理されたからだから自らを解放し、ゆとりと「遊び心」をとりもどすという課題です。

今年度の基調提案にも書かれているように、学校の管理システムにとらわれたなかで「まじめに」「精いっぱい」「時間を惜しんで」取り組むことは、自分と自分のまわりの首をしめるばかりか、結果的に子どもたちを囲いこみ、「すれちがい」を拡大すると考えます。

今年、九年間いた学校から現在の学校に異動しました。新しい環境ではいろいろ驚かされることばかりです。

なかでも驚いたのが、朝の打ち合わせで、子どもたちが残した牛乳の本数を報告させられることでした。若いまじめな先生が指名されて「火曜日は七本残しました」とか言わされるのです。

報告させた側、つまり管理職の先生としては、子ども一人ひとりのことをそれだけこまかく見てあげなさい……という意味だったそうです。

しかし担任は、そんなことがあるので、なんとか子どもたちに牛乳を残さず飲むように「がんぱり」ました。そしてその数日後、空き教室に牛乳が半分残されたまま放置されていた……、という事件が起こりました。おそらく飲めなかった子どもがそこに放置してしまったのでしょう。

管理されたからだでの「がんばり」は、子どもたちとの「すれちがい」を拡大するという典型的な例ではないでしょうか。

我校の運動会は残念ながら企画・運営はすべて教師が取り組みます。

子どもたちは教師の「お手伝い役」として働きます。教師は「子どもを使ってやらせる」というように、「使って」という言葉を多用して子どもを動かそうとします。そのくせ子どもたちには「君たちが主人公だ」などとよく言います。私も言います。

そんな運動会のテーマを、子どもたちから募集したいというので学級で募集しました。学級でテーマを一つにしぼって、各クラスからあがってきたテーマの中から全校のテーマをひとつ決定するというのです。

クラスでは多くの作品が「最後までがんばろう」とか「全力を出そう」系統の作品だったのですが、一つだけ次のようなテーマがありました。

●主人公の、ふりして走る運動会

これはいい!これを我がクラスの代表作品として児童会に提出しようと子どもたちに呼びかけました。子どもたちは大喜びで賛成してくれました。

この時点で私はいわゆる「遊び心」を持っていました。もちろんこのテーマは選ばれなかったし、子どもたちも選ばれることは期待していませんでした。

子どもたちが喜んだのは、このテーマそのものが自分たちの運動会に対する思いを見事に表現していたこと、それを担任が認めてくれたこと、そしてそれを全校にむけて発信できることの喜びだったのです。

なかには自分のクラスの作品が運動会のテーマとして選ばれることに「がんばって」しまっている教師もいます。

もし私も「がんばって」しまって、この取り組みに対して「遊び心」を持てなかったら「主人公のふりして走る運動会」というテーマには目がいかなかっただろうし、その裏に隠された子どもたちの運動会に対する思いや願いが見えない教師になっていたでしょう。つまり「すれちがって」いたと思うのです。

このように考えていくと、「遊び心」を持つには「批判的精神」が必要です。運動会の現状をなんとかしたいという批判的・革新的な思いや闘いがあったがゆえに「遊び心」が持てたのではないでしょうか。

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