[戻る]
|
4.子どもたちと「出会う」(2)〜思いや願いをつかむ〜 6.子どもたちと「出会う」(4)〜教師自身が自らを解放する〜 7.おわりに □ 塩崎義明/雑誌「生活指導」1996年11月号掲載 □ |
4.子どもたちと「出会う」(2)〜思いや願いをつかむ〜 子どもの思いや願いを知ることは大切なことであり難しいことです。 私たちはこれまでにも「子どもの問題行動を読みひらく」という視点から、問題行動は子どもの内的トラブルの表出であり、屈折した強烈な自己主張であること、さらには問題が表面化したときこそ子どもの本当の思いや願いを知るチャンスがあり、本当の意味での指導のチャンスであることも明らかにしてきました。 好きな者同士の班編成を進めていたときのことです。 多くの子どもたちが生き生きと編成に取り組んでいて、私も満足していました。ふと見ると一人の女の子がふさぎこんでいます。 どうしたのかと聞いてみると、「好きな者同士の班づくりはやめてほしい」と言うのです。「学級総会の時は何も言わなかったのに……」と思いながらあわてて理由を聞いてみると、どうやらおおやけの場で友だち関係が明確になることに耐えられないとのことだったのです。そこで学級全体で友だち関係のことや班づくりについていろいろ話し合いました。 これまでの班の活動についての総括も本音で出てきました。そして今度の班ではどのような活動をしたいのかも多くの子どもから発言されたのす。本当の意味での班づくりの指導がここからやっとスタートしたのだと感じました。同時に、子どもたちの思いや願いをつかみつつ実践することの大切さを実感しました。 さて、ここで注意しなければならないことは、子どもたちの思いや願いを聞くということは、子どもが突き出してくる様々な文化や要求をなんでも許していくことではないということです。子どもとすれちがいたくないという思いが先にたってこのような実践的な傾向に陥ってはいないでしょうか。 ピアス問題で考えてみましょう。許すことそのものが子どもと出会い、思いや願いを知ることではありません。 結果的に許すとしても(または許さないにしても)、彼がなぜつけてくるのか、その背景には何があるのか、その事実や思いに共感しつつそのことについて彼と語り合うことを私たちは大切にしてきたはずです。 そのことが彼を知ることであり、彼と「出会う」ことではないでしょうか。 |