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子どもとのすれちがい

.はじめに〜すれちがいを恐れずに無理をしないで〜

「出会う」ための四つの原則

子どもたちと「出会う」(1)〜生活・文化を知ること〜

子どもたちと「出会う」(2)〜思いや願いをつかむ〜

子どもたちと「出会う」(3)〜仲間関係に実践の視点を〜

子どもたちと「出会う」(4)〜教師自身が自らを解放する〜

おわりに

□ 塩崎義明/雑誌「生活指導」1996年11月号掲載 □

1.はじめに〜すれちがいを恐れずに無理をしないで〜

「子どもの問題行動を読みひらくことができない」「子どもが見えなくなってきた」「最近の子どもの考えていることが理解できない」という声があります。

さらには、子どもたちに拒否・敬遠され、苦悩している教師が増えているといいます。このような現状をどのようにとらえ、どう突破していったらいいのかを実践的に提起してみました。

子どもたちとの文化的なすれちがいに悩む教師が増えてきています。子どもたちの思いや悩みをつかもうする前に彼らが持ち込んでくる「文化」になかなかついていけずに、子どもたちとの仲間関係をつくる前に「すれちがい」を感じてしまい、実践が進まないというのです。

そこで、そんな「すれちがい」をのりこえるためには若者・子ども文化を知り、理解しなければならないという考えがあります。確かに何も知らないのでは困ります。しかし無理をする必要はないと思うのですがいかがでしょうか。

女の子たちとの関係をつくろうと、今流行している曲を必死になって調べて、やっと歌手と曲名が一致したのでそのことを話題にしたところ、「先生、そんなのは古いです」と逆に子どもたちに敬遠されてしまったという、笑えない笑い話もありますので。

一方で、自分は子どもたちの文化にはなじめないと、はじめからあきらめてしまっているという声も聞きます。

そのような先生は子どもたちの文化に対してどうしても否定的になってしまいます。批判的な精神は大切なのですが、アタマから否定しようとするので、その文化の中で生きている子どもたちの思いや願いが見えなくなってしまうといった危険性があります。

無理をすることはありません。そしてその必要もありません。子どもたちと私たちの文化性が違うのはあたりまえなのです。それを恐れる必要はないのです。

しかし、子どもたちの文化になじめないからといって、子どもたちとの「出会い」をはじめからあきらめてしまっては子どもがよけいに見えなくなってしまいます。

私もまた、最近の若者文化にはなかなかなじめないでいる一人です。ルーズソックスを見てもゾウの足にしか見えない人間です。

「チョベリバ」という言葉が流行ったことがありまた最初私はなんだかわからなくて、どこかの方言が流行っているのかと思っていました。

ある日子どもたちにその意味を聞いてみると、「チョー・ベリー・バットのことだよ」と教えてくれました。そこで「なあんだ、英語だったのか」と言うと「先生、『超』は日本語です」と言われてしまいました。

また、若い頃同じ学校にこんな先生がいました。

その先生は運動が苦手です。特にボール運動が全然ダメです。ところがその先生、休み時間ごとに子どもたちとドッチボールをするのです。遠くから見ていると見ていられないくらい下手なのです。でも子どもたちは、休み時間ごとに目をキラキラさせながらその先生をドッチボールに誘うのです。もちろん子どもたちはその先生が大好きでした。

苦手であっても、なじめなくても、すすんで子どもたちの世界に入ってきてくれる教師を子どもたちは望んでいたのではないでしょうか。

繰り返しますが、私は若者・子ども文化に疎かったり、苦手だったり、なじめなかったりすることを恐れる必要はないと考えています。知らなくても、できなくても、その文化をめぐって子どもたちと対話できること、そんな関係がつくれることこそ大切であると考えています。

「すれちがい」を恐れる必要はありません。また無理をする必要もありませんさらに言えば、「すれちがい」が自覚できていることに胸をはってしまおうではありませんか。「すれちがい」を自覚できているということは一歩前進です。

一番こわいのは、子どもとすれちがっていることが自覚できていないことなのですから。

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