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学校選択制を問う(03/9/17)

 千葉県浦安市では、2004年度新入生を対象に、小・中学校に学校選択制を導入することになりました。

※詳細はこちら。(広報うらやす 2003/9/15より)

 学校選択制(学区の自由化)については、ザ・教室では、すでに6年前の1997年に「通学区の弾力問題を目前にして」というエッセイで私の考えを述べています。当時は、以下のように、学校・学区と住民自治との関連で疑問を投げかけておきました。

そもそも学区というものは、子どもたちの安全面を考慮するものであると同時に、そこに住む住民の自治を励ますものとしてもあるのだと考えてもいいのではないでしょうか。

街づくりの専門の人に学区について聞いてみました。すると、河川や道路といった視点だけで学区を提案するのではなく、そこに生まれるであろう自治会や子ども会といったことも重要な視点であるということでした。

〜中略〜

住民の自治がすべて学区に依拠して進められているわけではありません。しかしそれを発展させるための大切な要素になっていることは確かです。住民自治・学校づくりの観点から「通学区弾力問題」を考えてみてもよいのではないでしょうか。

 その後、東京都品川区学区の自由化が本格的に実施されるに及んで、以下の問題点が指摘されるようになりました。

(1)いたずらに学校間の競争をあおることにより、見た目の「成果」を上げることばかりに目を奪われ、子ども一人ひとりやその内面に目を向けることが弱くなるのではないか。

(2)教育の機会均等の場を奪うことにつながるのではないか。

(3)学級定数を据え置いたまま学区の自由化を推進することで、学校の統廃合やそれにともなう教師のリストラを推し進めてしまうのではないか。

 さて、上記の問題点を検討する前に、最近の浦安市の動きを報告いたします。

 浦安市では、学校選択制の準備としてこの10月に市内全学校を5日間〜9日間、市民に公開することを決めました。そしてそれぞれの学校が指定した日に、市民はその学校を訪問することができます。※詳細はこちら

 ところが、現時点(03/9/17時点)では、この取り組みの安全対策がまったくなされていません。つまり、学校に、いつでも誰でも入れるわけですが、そのことに対する安全対策はそれぞれの学校にまかせられているのです。

 我々は授業をしているわけで、受付や校舎内見回りは無理。特にうちのような小さい学校は職員が少ないので、おてあげ状態です。まさか、市の取り組みにPTAにお願いするのも筋違いのような気がするし、頭を抱えています。

※この後、安全対策についての対策が市からなされれば、ここの文章も修正するつもりです。

 さらには、今回の市民公開があることを広報の発表があるまで(発表があっても)、職員が誰も知らなかったという 学校がありました。
私に、
「おたくは、いつ公開するの?」
と聞かれて、
「なにそれ?なんのこと?」
と言う学校があったのです。

 つまり、事前に職員に説明せずに教育委員会に自校の公開日を校長が、おそらく事務的に報告。そしてついには、広報で発表されるまで職員には何も報告されないで、市民の方が先に公開の事実を知ってしまったという、なんともおそまつなお話です。どうやら学校選択制のコトの重大さを認識していないようなのです。これは現場でもそうですし、教育委員会も組合も同様です。

 その証拠に、学区の自由化について、現場では一度も話題にも論議にもならず、知らないうちにバタバタと決まってしまいました。組合も後手後手状態で、とうとうその問題点を指摘することができませんでした。

 さてその問題点ですが、先に書いた(1)(2)(3)、そして住民自治の問題があがっていますが、私はそれ以上に、保護者や子どもの学校に対する意識が大きく変わる!ということを重要な視点として述べておきたいと思います。

 全国生活指導研究協議会(代表:折出健二)の2003年度山形大会の基調提案では今の学校状況を次のように表現しています。

 今学校は市場化・商品化の渦の中に巻き込まれ、教職員の相互協力や実践の共同性も「目標と成果」「特色ある実践」さらには「不適格性」有無の教員評価の導入などによって引き裂かれ、教職員の孤立化が進行しています。
 こうした学校の変化のもとで、子どもたちの孤立化・荒れ・いじめ・暴力的で排他的な関係が広がりを見せています。また、保護者のなかにも、学校を市場的サービス機関と見る傾向が強まり、保護者と教職員との共同が年々難しくなってきています。このような現実は、教育の公共性の崩壊現象であると言えます。(※太字はしおちゃんマン)

 子育て・教育は、本来学校と地域・保護者との共同作業だと考えてきました。しかし最近の「新自由主義」「市場主義」の中で、子育ては自己負担・自己責任が強調され、「しつけ」は家庭で、「学力」は学校でといった責任主義が横行しています。もちろんそれがベースにあるのですが、家庭と学校とがそれぞれの足りない部分を報告・交流しあい、お互いに共同の作業として子育て・教育していくのが本来の姿だったのではないでしょうか。その証拠に、学力というのは子どもたちの生活と切っても切り離せない関係にあるではありませんか。

 ところが、最近のこういった流れの中で、学校はサービス機関であるというとらえ方が当然になってきています。一緒になって学校をつくっていこうというのではなく、「サービス機関」というとらえかたですから、当然「サービスが不足している」と見れば、苦情になり、トラブルが生まれるでしょう。

 そして今回の学校選択制は、この、学校を市場的サービス機関と見る傾向を一気に推し進めるのではないでしょうか。なにしろ、どのくらいのサービスが受けられるのかを一つのものさしとしながら学校を選んでいくのですから……。そうなってくると、今後ますます学校と保護者とのすれちがいや対立、そしてトラブルが増えてくることが予想されます。

 浦安市では、学校規模の差がとても大きくなってしまいました。一方で児童数が増えすぎてプレハブ問題があるかと思えば、一方で本校のように全学年単学級全校児童数159人の学校もあります。そんな中で今回の学校選択制は市の苦肉の策なのかもしれません。

 しかし、そんな中でのしおちゃんマンの主張は、学区の自由化ではなく、学区の再編成と複数校での共同の学校運営を!です。そして、子育て・教育というのは、学校と保護者がそれぞれの役割を担いつつ共同していくものであることをもう一度この機会に確認したいと思っています。