「忘れ物」考
●親に怒り出した子ども
以前、高学年の男子が忘れ物をして家に電話をしている光景に出会いました。親に持ってきてほしいことを伝えているようでした。電話するくらいですから、よっぽど大切な「忘れ物」だったのかもしれません。
ところが、どうやら親は忙しくて学校まで届けられない、ということになったようで……。まあ、ここまではわかるのですが、私が驚いたのは、その子が親に対して急に怒り出したことです。
「なぜ用意しておいてくれなかったのか」とか、「お母さんのせいで、自分はこまっている」とか言い出したので、私のクラスの子ではなかったのですが、電話を切ってから厳しく叱ったことがあります。
「自分が忘れ物をしたくせに、高学年にもなって、それを親のせいにして…、なんだ!あの言い方は!」……、みたいなことを言った記憶があります。ところが叱られた子は、どうして自分が叱られているのかよくわからなかったようで、それがまたアタマにきて、さらに叱ってしまいました。
それで、親はどう言っていたのかを聞いてみると「ごめんね」と謝っていたということで…、ここで今度は少し心配になってきてしまいました。つまり、この子は、このまま思春期・反抗期をのりこえられるのだろうか……、という心配です。もっと言えば、この子はちゃんと、思春期・反抗期がくるのだろうか……、という心配です。このことは今回のテーマではないので機会があれば書いてみたいと思います。
※もしかしたらその時は、その子なりの事情があったのかもしれません。にもかかわらず、その場の出来事だけを見て、一方的に叱ってしまったことは反省しています。
●してみせて〜のサイクル
一年生が忘れ物をした時に、よく、「ランドセルに入ってなかった」と答えることがよくあります。つまり、学校の準備は親がすべてやってくれていた、ということですね。低学年の時はそういった時期もあってもいいとは思うのですが、それがずっと続くのは(続く傾向にあるのは)、やっぱり考えなければならないと思っています。
人間ですから、忘れることはありますし、そのくらいの「あいきょう」はあった方がいい、というのが私の考えです。しかし、それが「いつも」「つづいて」ということになると、やはり少し考えなければなりません。
忘れ物をしてしまう原因は、今までの私の経験だと以下の三つのようです。
(1) 確認をする習慣がついていない。その時間が生活リズムの中に位置づいていない。
(2) 家の、子ども机周辺が整理されていない。何がどこにあるのか自分でよくわからないので、出てこないものは後回しにしてしまったり、持っていかなければならないものが、どこかに混ざってしまったりしてしまう。
(3) 友だちとの会話が少ない。
(1)と(2)については、よくわかると思います。しかしこれは、以下のサイクルをくりかえせば大丈夫です。すぐにできるようになります。つまり、
してみせる→一緒にやってみる→失敗を見通してやらせてみる→もう一度してみせる→一緒にやる→やらせてみる→以下、繰り返し
そして、失敗した時に、どうして失敗してしまったかを、前向きに明るく対話していけばいいと思います。
さて、「おやっ?」と思ったのは、(3)だと思います。どうして友だちとの会話が少ないと忘れ物をしがちになってしまうのでしょうか。
●友だちとの会話が少ないことと「ワスレモノ」
友だちとの会話が少ないと忘れ物をしがちな理由は……、結論から言いますと、情報交換の量が少なくなってしまうからです。
子どもって、遊びながらでも「明日の水泳楽しみだね」とか話をしているものなのです。そしてその会話の中で「明日は水泳があるぞ」と、頭の中にインプットされるものなのですね。
実はこれは大人も同様なのです。たとえば職場全体のリズムの中に入りきれていないと情報量が少なくなって、やらなければならないことが落ちてしまうことがあります。(私の例ですが…笑)
このように考えていくと、忘れ物というのは、個人の課題だけでなく、集団の課題でもあるとも言えるのです。つまり、「忘れてはいけない物、忘れてはいけない事」が、いかにクラス集団の「話題」になっているのか、また、そのクラスの子どもたち同士がいかに豊かに交わっているのかということが、忘れ物を考える上でも大切なキーワードでもあるのです。
(2005.6.8)