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待てる大人に

 

林間学校引率記の中で、やはりこのページに関しての感想が一番多かったです。ありがとうございました。そこでもう少しこの件を深めてみたいと思います。

さて私は先にも書いたように、たとえば林間学校のしおりをホテルにFAXで送ってくることじたいを否定してはいないのです。こんなに便利になった時代ですからこれを利用しない手はありません。つまり便利になった社会を否定するのはちょっと違うのではないかと考えています。大事なことはそのことではないのではないかと。

ところで私は「過保護である」と言うときに、子どもたちは次のようなことを失うと思っています。

一つは「生活の技」を失います。たとえば、毎朝の洗顔を小学校に入るまで母親にあったかいおしぼりでふいてもらっていた子がいました。この子は自分で両手で顔を洗うといった「技」がなかなか身に付きませんでした。またそればかりでなく、自分でできないことにぶつかると非常にヒステリックになる傾向がありました。

ちなみ今の子どもたちは、何でも自分の思い通りにいくと思い込んでいるふしがあります。そしてそのことを否定されたり、思い通りにいかないことにぶつかると、自分の人格をすべて否定されたようにとらえるようです。そして自分を否定する対象にたいして非常に攻撃的に出るか、または自分を必要以上に責めるのです。今さかんに問題になっている「キレる」ことや「自殺」の問題はこのこととは無関係ではないような気がします。(むろんこのことだけではないのですがこういったことも一つの原因にあげておきたいと思います)

このように「技」を失うということはそのことができなくなるということだけではありません。できなかったことができるようになった時の喜びといった感情、できるようになるまでに助けてくれたり応援してくれたりした人に対しての「思い」……、こういったことも同時に失ったり身に付かなかったりするのです。

二つ目は、「過保護」であることは、親子関係にゆがみを生じさせます。つまり「親は自分の欲求をすべて満たしてくれるもの」として、子どもは自分の中に親をとりこみます。これは逆に言えば、自分の思い通りにしてくれない親は「悪い親」ということになるわけです。なんでもやってあげていた子どもの前思春期の反抗期が他の子どものそれに比べて壮絶なものになるのはそのためでもあります。(むろんそれだけではありませんが)

このように考えていくと、やはり子どもは失敗を繰り返しながら成長していくのだと思うし、失敗をしながら、親やまわりに…、ある意味で迷惑をかけながらその関係を見つめ、愛や友情を感じていくのではないでしょうか。とすれば我々大人は「先回りしない『待ち』」のスタンスで子どもの失敗を見つめつつその成長を見守り、そして励ます大人であることこそ重要ではないかと思うのです。

PS:子どもを大切にすること

水色の通学帽子をかぶった5年生が次々と登校してきました。親子で登校してきた子が多かったです。ここで気になったことが一つ。

何人かの子どもは、重い荷物を親に持たせて登校です。いや、親が進んで持ってあげているのでしょうか?自分の荷物は、たとえ見送りだとはいえ、自分で持たせた方がいいと思うのですがいかがでしょうか。(^^)ニコッ

この学校は雨が降った日には、校門の前にズラリと車が並びます。はい、子どもを車で送ってくるのです。

またこの林間でも、ホテルについた時に、林間学校の「しおり」がファックスで届いていました。子どもが家に忘れたので、親がコピーして送ってくれたそうです。

学校から遠い家は、交通量の多い中、雨の日は心配です。
車があるのですから、送ってあげたい気持ちは十分わかります。

また、しおりは確かになくては困るもの。
コピーやファックスがあるのですから……、送れる環境にあるのですから、これを利用しない手はありません。

しかしここで、ちょっと待てよ……、と考えてしまうのです。
子どもを大切にするって、こういうことなのでしょうか?大切にしているようで、実は大事なことを落としてしまうといった落とし穴はないでしょうか。

そのことを承知していての行為であれば、別の所でカバーできますが、もし何の疑問もなくこういった行為をしているとしたら、ぜひ少し立ち止まってみんなで考えていきたいテーマだと思いました。

車でおくることや、ファックスでしおりを送ることを否定しているわけではありません。この便利な世の中…、その便利さのかげにかくれている落とし穴を十分見極めながらの子育てが必要だと思っています。

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