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続・学校選択制を問う(03/9/28)

 「学校選択制を問う」に対して、一定意見が出尽くしたと思います。結論から言えば、私の提起に対してほとんどが批判的でした。つまり、「学校選択制」を『歓迎』『当たり前』、さらには「教育正常化」のためには『必要』という声がほとんどでした。

 まず、民間の方達からは、競争し、「サービス」が足りないところは淘汰されていくのは当然のことであるし、そのことによって、「サービスの質」が向上されるという意見です。

 二つ目は、国民の教育を受けさせる権利を実効性あるものにするために有効であるという意見です。現在の義務教育体制を形式的な平等主義ととらえて、そのことが、逆に教育を受ける権利を侵害しているという意見です。

 そして三つ目が、現在の、文科省を頂点とした学校制度を見限り、学校選択制を契機にして、教育のフリースクール化の方向に向かうべきであるという意見です。

 保守的なスタンスを持つ人たちからも、そして革新的なスタンスに立つ人たちからも、学校選択制に対して「歓迎」ということですので、この動きは一気に進むことが予想されます。

 自分は今まで、学校というのは、教師と保護者が共同して「つくって」いくものであるととらえてきました。ゆえに、学校選択制は、両者の関係性を崩すものであるという視点で疑問を投げ掛けたわけです。

 しかしながら、多くの方達は「共同の学校づくり」という視点ではなく、学校が子ども、国民に対してサービスを提供するという視点でとらえています。ゆえに、そのサービスの質をあげるためには、学校選択制が必要であるという意見になります。

 ところが現実的には、文科省を頂点とした現在の学校体制の中では、学校独自の取り組みが制限されています。そのような現状の中で、多くの人たちが望む「サービスの向上」のための「競争」が本当に成立するのかは疑問です。現状のままでの学校選択制は、一部の「成果」を前面に出して、多くの子どもを切り捨てていく「競争」になっていくことが予想されるのではないでしょうか。

 また、教育を受ける権利と、学校を選択する権利を同一に考えていいのかという疑問があります。なぜなら私は、権利というのは、共同で勝ち取っていくものだと考えてきたからです。それを個人の判断の問題にしていくと、どうしても一方で権利を行使できない人の問題が出てくるように思うのです。

 フリースクール化の方向に向かう契機になるのではないかという意見に対しても、義務教育の段階でフリースクールが妥当であるかは、子どもの発達段階の問題と合わせて考えると不安があります。そこにいたるまでの傷が大きすぎる気がします。つまり、学校選択制が進行し、切り捨てられた者たちが立ち上がることを見通さなければ実現できません。興味のある意見ですが、私にはまだそこまで見通せないというのが正直なところです。

 いずれにしてもこの問題は、日本の学校体制を大きく変えてしまう問題です。一番いけないことが、これが論議にならずに、いつのまにかバタバタと決まっていくことです。私の問題提起が、今後の学校づくりのあり方をめぐって、いろいろな視点から論議されればいいなあ、と考えています。