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一.決まらない学年 たしか2年目の年だったでしょうか。次年度の学年の希望を「第7希望まで書きなさい」と言われたことがあります。できる専科も書きなさいということらしいのです。私はなんの専科もできませんから、しかたなく第7希望の欄に「教頭」と書いて提出してひどく叱られたことがありました。 今は第7希望などという学校はありませんが、職場の仲間で話し合って決めるといったことは残念ながらもう夢のような話になってしまいました。 さて、私の場合は、1年、3年、5年を基本にして希望を出します。持ち上がりを見通して指導したいと思っているからです。そしてその年、1年、3年、5年であれば、2年、4年、6年を希望することにしています。 ところがここ3年間、私が担任した学年は、6年、6年、6年です。3年連続6年生なのです。 私が教師になったばかりの時代は、組合員は高学年は持てないといった差別にあってきました。「学校運営に直接関る場面の多い高学年の担任を組合員にまかせるわけにはいかない」ということらしいのです。ところが最近ではその逆で、私のまわりの組合員の仲間はほとんどが高学年です 3年連続6年生……これは何を意味しているのかもうおわりかと思います。つまり6年生の持ち手がいないのです。5年生の時に担任した教師全員が持ち上がるケースがとても少なくなってきました。 理由は、 以上、この3つに整理できるのではないでしょうか。 そしてこの3つのトラブルを乗り越えることこそ今求められている指導ではないでしょうか。そしてこれは高学年だけの問題ではありません。学校づくりにつながっていくものであるとも考えています。 二.3つのキーワード という3つのキーワードを押さえながら最近は実践しています。もちろん厳しいことの方が多いのですが、組合やサークル(全生研)の仲間と共に学びあいながら進めています。 三.トークを楽しむ 考えてみれば変な話です。対話をベースにした信頼関係のない討議・討論はいったいなんなのでしょうか。多忙化の中で私も含めて子どもたちとの関係が形式主義になりがちです。もっともっと子どもと対話をしていく必要があります。子どもたちの話を聞いていく必要があります。さらに言えば、子どもの悩みや思いを引きだすなどとかまえないで、逆に、時には教師の悩みも子どもに語ってみてはどうでしょうか。私もときどきそういったことをしますが、そんな時、子どもは真剣に考えてくれたりします。もっと肩の力を抜いて子どもと対話してみましょう。 四.点から面への集団づくり まず、クラスの中で一番弱い立場の子どもを援助しつつ、その子の声をクラス全体に広げていくといった実践スタイルです。これは児童会活動でも同じです。3人以上集まって、代表委員会の承認を受ければ、だれでもいつでもどこでも全校に呼びかけた「自主集会」を開くことができることにしました。これらを私は最近「点から面への集団づくり」と呼んでいます。まだまだ試行段階で、実践を積み重ねている段階です。数々の民主運動からその教訓を学びながら、それを集団づくりに生かしていきたいと考えています。 五.教師の革新的なスタンスこそ 管理的な職場の中で「子ども側にたつ」ということはとっても厳しいことです。特に子どもとの信頼関係が結べなくてうまくいかなかったりしていると、よけいに管理的に子どもにあたってしまったりするものです。そういったことを子どもはきちんと見抜いています。この教師は自分たちの側にたってくれる教師であるのかそうでないのかを子どもたちは簡単に見抜きます。 このように考えていくと、教師の革新的なスタンス(今を良しとしない)こそが子ども・父母の信頼を得、教育的ヘゲモニーが得られるのではないでしょうか。そういった意味においても私は組合員であることに誇りを持っています。 父母・地域・住民との連帯については書ききれませんでした。 いつかまた別の機会に紹介できればと思っています。 |