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連絡帳の落とし穴

 

つもMLを主催していると、メンバーのみなさん同士のいろいろなトラブルにぶつかります。管理人として、メンバーのみなさん同士のトラブルには、とても気を使います。

メーリングリストや、パソコン通信でのトラブルが多いということは、それだけ文章でのやりとりがむずかしいということだと思います。つまり、むずかしいがゆえに気を使わないと、読み手に誤解をされてしまうことが多いのです。

私自身も他のMLや会議室で、私のメールに対しての返信で「どうしてこんな書き方をするんだろう?」「これじゃあげ足とりじゃないか」と思ってしまい、ムッとすることがたびたびあります。

でも、次の瞬間には、「きっと本人は、そういうつもりじゃないんだろうな」とか「本人は、読み手がどのように感じるか気がつかないんだろうな」と思い、感情的にはならないようにしています。

意見が違うということはあたりまえです。違うがゆえにお互いに高まりあえるのです。一人ひとりの意見が違うことはすばらしいことだと思うのです。しかしその前提は、違う意見を尊重することです。尊重しつつ論議するといったスタンスが必要です。違う意見をやっつけるための議論は不毛だと思っています。 

くりかえしますが、コミュニケーションで一番むずかしいのが、文章でのやりとりであると思っています。理由は、読み手の読み方によって、多様な読み方をされてしまうからです。

ちなみに、次にむずかしいのが電話、一番トラブルになりにくいのが直接会うことだと思っています。お互いに顔を合わせるということは、言葉・音声・表情・身振りといったいろいろな要素が、コミュニケーションの内容を補いますから、受け手に誤解を与えることが少ないのだと思います。

て、学校と父母のみなさんとのコミュニケーションの場合はどうでしょうか?私は、これまで書いてきたように、直接会って話をすることが一番誤解がないコミュニケーションのやり方だと思うのですが、学校での教師と父母のみなさんのやりとりは、少なくとも私のまわりでは連絡帳でのやりとりが中心です。しかし、これまで述べてきたように、文章でのやりとりは何かと誤解を受けてしまうことが多く、お互いの誤解からすれ違いが大きくなってしまうことが多いような気がします。

たとえば、欠席の連絡一つにしても、以下の文章を比べてみてください。

○発熱のため欠席します。
○発熱のため、欠席いたします。
○いつもお世話になっています。発熱のため、欠席いたします。

伝えたい内容が同じでも、文章というのは、少しの違いでこれだけ相手に与える雰囲気が変わってしまうということです。それだけ、文章によるコミュニケーションというのは恐いということです。

さて、電話をすること、直接会うことをすごく大げさなこと…、問題を大きくしてしまうことといったとらえ方が日本の学校にはあるような気がします。

心配なこと、疑問に思ったことがあり、担任の先生にどうしても伝えたいと思ったとき、電話よりもまず連絡帳で…、といった保護者の方が小学校では多いのではないでしょうか。ましてや、学校に直接行って、担任の先生と話をしようとはなかなか踏み切れません。

一方学校側も、保護者の方が直接学校に来て話をするといったことになると、何か大きな問題が起きてしまったのではないかとかまえてしまうものです。場合によっては「学校にのりこんできた」などという言い方を学校はする場合もあるほどです。

これは実は違うのであって、小さなことこそ学校に来てコミュニケーションをとりながら、大きな問題がおきてしまった時に、前向きに話し合える関係ができているのが一番いいと思うのです。小さなことだと思うがゆえに連絡帳で済ませようとして、逆にすれ違いがおこって、お互いに誤解が生まれてしまうこともあることもけっこうあるのです。

しかしそのためには、学校はもっと敷居を低くしなければならないことは言うまでもありません。同時に、子どもとのやりとりはもちろん、父母のみなさんとのコミュニケーションの時間も、もっと教師に保障されていてもいいと思っています。

そこで当面、以下のようにしてみることを提案いたします。

●連絡帳でコミュニケーションをとる時には、小さいことでもその表現に十分注意しましょう。
●教師は、連絡帳での読み手になったときには、文章であるがゆえのコミュニケーションのむずかしさに理解をしめしましょう。
●担任の先生と、気軽に立ち話ができるような機会を意図的にみつけたり、それができる関係性を作っていきましょう。
●教師も、父母のみなさんが気軽に学校・教室に立ち寄れる雰囲気を意図的につくりあげていきましょう。

(2001.9.27)

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