[戻る]
〜小・中の連携を考える〜 1.小・中のすれ違い そして今回のテーマにそくして考えると、子どもたちの指導がむずかしくなればなるほど、小学校と中学校の関係がギクシャクしてしまう傾向があるような気がします。 たとえば小学校の中からは、 一方、中学校からも、 なぜこのようなすれ違いがおこってしまうのでしょうか? 2.たとえばリーダー的な子 この「すれ違い」の原因の一つに、小学校の教師のリーダーのとらえかたの問題があると思います。 たとえば小学校の先生は、私も含めて、ついつい教師にとって都合の良い「便利」な子どもをリーダーとして見てしまう傾向があるような気がします。つまり教師の期待するようにきちんと動けて、他の子どもたちに指示できるといった子どもをリーダー的な子どもであると見てしまうのです。 確かにそういったことも必要かもしれません。しかしこれは先にも述べたように、教師にとって都合のいい子であって、子どもたちにとってのリーダーではありません。リーダーとは、子ども集団が必要とするものではないでしょうか。もっと言えば、リーダーとは、子ども集団が選ぶものではないでしょうか。 そういった意味では、リーダーの指導とは、リーダーと言われている子に対する指導ではなくて、子ども集団の指導であるとも言えます。つまり自分たちにとって今、どんなリーダーが必要であるかがわかる子どもたちを育てることこそ今求められている指導であると私は思います。 そういった見方がなかなかできずに申し送りをしてしまうので、小学校の時に教師のいう通りに動いてきてリーダーと言われてきた子は、中学校に行くとリーダーとしての動きがなかなかできなくなることが多いようです。そして、そのままリーダーとして活躍したとしても、「小学校から『リーダー』と申し送りされてきた子はセンが細い」と、中学校の先生から言われたこともあります。 では、小学校でリーダーとして動いてきた子どもが中学校に行ってから活躍できないことが多いのはなぜでしょうか。 一つは、中学校に進学するとまわりの子が、教師の便利屋としてのリーダーを支持しなくなることです。さらにはその子自身も、そういったそれまでの自分に疑問を持ち始め、それまでの自分を否定しつつ新しい自分をつくりあげようとする時期に突入するからです。 二つ目には、最近の傾向として、今の子どもたちは、自分たちを引っ張ってくれるリーダーではなくて、「あいだをとりもってくれる」子どもをリーダーとして支持する傾向があるような気がします。 たとえば、クラスや学年で何か行事に取り組んだときに、もめ事がおこったとします。そういった時に今までは、少数であっても最後まで正義を貫く子が支持されたのですが、今の子どもは、妥協案が提起できる子を支持する傾向があります。つまり「間をとりもちつつ、取り組みに見通しを示してくれる」ような子です。 さらには、取り組みの内容によって、支持する子を選ぶ傾向もあります。誕生日会を進める時にはA子さんたちがリーダー。ドッチボール大会ではB君たちがリーダー…というふうに、子どもたちは支持する子を取り組み内容によって選ぶのです。 しかし一方で、自分の得意分野以外のことには、まったく興味をしめさないといった傾向もあります。それどころか、興味がない取り組みに対して批判的な態度をとることさえあります。以前に比べてこの傾向は強いような気がします。 こういった傾向に対して、小学校から申し送られるような「先頭に立つ」型の、いわゆる「いい子ちゃん」型リーダーはなかなか支持されなくなります。 いずれにしても、小学校から中学校に申し送りをするときには、それぞれのリーダー観について、十分に話し合う必要があると思います。 また、リーダーとして申し送りする子が、いったいどのような場でどのような動きをしてきたのか具体的に伝える必要があると思います。 さらには、その子に対してまわりの子はどのように見ているのかも重要な視点だと思っています。 3.指導がむずかしい子の場合 一つは、その子の問題行動をくわしく申し送ることによって、その子に対する先入観を中学校の先生方に与えてしまわないだろうかという不安が小学校の教師にあるのです。そしてそういった不安があるので、その子の問題を具体的に伝えないことさえあります。しかしそのことが結果的に、「こんなに問題があるとは聞いていなかった」といった中学校の先生方の不満として出てしまったりしています。 逆に、十分指導がしきれないまま中学校に送ることになってしまい申し訳ないという気持ちや、さらには「私はこれだけ大変な思いをして指導してきた」ということをわかって欲しい気持ちもあったりして、ついつい問題状況を必要以上に大きく伝えてしまうことがあるのも事実です。そしてこのことが、先にも述べたように、中学校の先生の先入観になってしまって、指導がうまくいかなかったりすることもあります。 それでは、指導のむずかしい子どもを申し送りするのに留意することはどんなことでしょうか。 一つは、この時期の子どもたちの発達段階や、彼らの思いや願いについて、小学校と中学校で十分な共通理解をするということです。 高学年から中学生にかけて子どもたちは、自分をもう一人の自分で見つめ直そうとします。そしてそれは、今までの自分や自分をとりまいてきたものを否定する形でなされることが多いので、親や教師に対しての反抗という形であらわれることもあります。しかしそのことは同時に中学校への入学を自分を変えていくためのひとつのきっかけとしようとしているケースも多いこともまた事実なのです。 また、自分を変えていこうとする思いは友達関係の変化によくあらわれます。小学校の時にいつも一緒だった友達と急に話をしなくなることがあったりします。そういった意味で小学校の教師がよく口にする、「この子と、この子を一緒にしてはダメ」とか、「この子には、この子をつけておけば大丈夫」などということはあまり意味がなくなるのです。 さて、指導がむずかしい子どもの申し送りにおいて留意した方がよい二つ目は、その子の問題の「背景」を具体的に伝えるということです。つまり、問題行動そのものをくわしく伝えるのではなくて、その行動の背景にあるものをくわしく伝えることが大切です。さらには、その子がそういった背景を背負いながらどういった思いで生活してきたのかを共感的に伝えることも重要です。 たとえば、遅刻が多い子どもがいたとします。そういった時に、遅刻が多いことだけを伝えるのではなく、どうしてその子が遅刻をしてしまうのか、遅刻の原因となっている生活背景とはなんなのかを、小学校の教師がつかんでいる限りのことを伝えたいものです。 そうすることでその子が中学校で再び遅刻をしてしまった時に、中学校の先生もまた、その子の生活背景に共感的にかかわりながらの指導ができると思います。逆にそのことが伝わっていないと、その子の行動を否定するだけの指導になってしまったり、子どもはそういった中学校の先生に、なかなか心を開かなくなってしまうのです。 4.一回だけの申し送りではなく また地域によっては、子どもたちが進学する中学校の教師とまったく話をしたことがなかったり、どんな教師がいるのかさえも知らないといったこともめずらしくありません。さらには、最初に述べたように、それぞれがそれぞれを批判的に見ていて、非難しあっている地域もあるようです。 しかし一方では、子どもたちの指導がむずかしくなり、小学校と中学校の連携の大切さが言われるようになっていく中で、定期的に「連携委員会」のようなものを開く所が増えてきました。 そこでは、子どもたちの様子や指導の状況などを報告しあったり、教師同士の親睦をはかる交流や、授業参観なども行われる地域もあるようです。しかしこういった取り組みを進めている地域はまだまだ少数です。 私は、こういった教師レベルの連携だけではなく、子どもレベル、父母レベルの連携も視野に入れて考えていく必要があると考えています。そしてそれらは、あくまでもそれぞれの自治の上にたった連携でなければなりません。 そういった意味で、児童会、生徒会の活動の見直しや、PTAの活動のあり方も、見直していく時期でもあるし、そういったことが一方でなされることが、真の意味での小・中の連携につながっていくのだと思います。 もっと言えば、小・中の連携は、子ども、父母、教師の三者によって進めていくイメージを持つ時代であるとも考えています。 たとえば、一つの行事を三者の協議によって小・中が合同で行うといったことは今後十分考えられるし、大切なことであると思います。 運動会はどうでしょうか?首都圏でも子どもたちの人数が少なくなり、学校規模も小さくなってきています。けっして不可能なことではないと思うのです。 そして、そういった取り組みの過程でこそ、真の意味での子どもの申し送りが実現できるのだと思います。 (1999/01/17) |