[HOME] [教室からのエッセイ一覧] [ザ・教室 blog メイン]
教育を子どもたちの手に取り戻す
自民党の選挙中のスローガンの一つは「教育を取り戻す」でした。
しかし別に…、民主党が、自民党がつくりあげた「教育」を奪ったわけではありません。実は何もしなかったのです…、いやむしろ、小泉・安倍内閣時代につくりあげた "自己責任・自己負担" の考え方で、"学校間競争を活性化させる" という、"新自由主義的教育路線" を民主党は継承し、強化したのではないでしょうか。
その結果、学校間格差、学力格差はどんどん広がり、教師の負担はさらに増しました。子どもたちの中にいじめが広がり、教師の精神的疾患の多さはあいかわらずです。
ちなみに、民主党の公約だった教員免許更新制度廃止については、その見直しさえしませんでした。
新しい安倍内閣は、この路線の上に、さらに、国家主義的な教育(国民個々よりも国の利益を優先する考え方)を、内容的にも制度的にも強化することを考えていると思います。
国のために滅私奉公する子ども…、そして時には命さえ投げ出せる子どもたち、そんな子どもたちを育てることを目指しながら、一方で、6.3.3.4制を見直し、飛び級・留年を制度的にもつくりあげ、ひと握りのエリートとその他の子どもたちを、制度的にも早くから振り分けていく……。そして、そういった教育の方向に反対する組合、またはその応援団的な教師を徹底的に排除していく。それが安倍自民党の言う「教育を取り戻す」ということなのではないでしょうか?
さて、そういった路線に対置し、逆に、"教育を子どもたちの手に取り戻す" ためにはどうしたらよいのでしょうか?
一つ目は、"教師個々が実践の自由を取り戻す" ということです。
「足並みをそろえる」「チーム○○」などという、一見きれいに聞こえる「まとまりましょう」的なスローガンが現場に広がっていますが、実はその背景には、自己保全・責任回避の考え方があるのです。しかし、リアルな子どもたちを目の前にした教師個々の発想やアイデアを無視しては教育は成り立たないのです。したがって、子どもたちのリアルな声を話題にすることで、教師個々は実践の自由を取り戻せるはずです。
二つ目は、まず我々が、家父長的な見方・考え方から抜け出し、どんな立場からでも意見・異議申し立てをすることができることを当然のこととする関係とマナー、そしてルールを取り戻す、ということです。
現在のような、教師個々が評価されるような学校体制の中では、どうしても子どもたちに言うことをきかせようとする思いが強くなり、子どもたちを上から管理・強制するような場面が増えてきてしまいます。また、職員室に若い人たちが増えてくると、これまたどうしても上から目線で教え込もうとしてしまいがちです。さらには、民主的な組織団体がますます弱くなっていく中、組織を守るために、上から目線の動員、運動(もはや運動とは言えない)になりがちです。つまり、私たちのまわりには、家父長的な発想になってしまう環境があふれているということ。
しかし、こういった環境であるからこそ、お互いの意見表明権を認め、どのような関係やマナーが必要で、未来に向かってどのようなルールづくりが必要になってくるのかを考えなくてはならないのではないでしょうか。
三つ目が、子どもたち、保護者、同僚、地域の人たちとの対話を取り戻す、ということです。
もはや学校現場は "異常" ということばでしか言い表せないほどの忙しさです。そんな中で、自分の身の回りのことに、個々で対応するだけで精一杯。またそのような異常な生活の中では、対話を「おしゃべり」として否定的に見る風潮や、話しかけてくる人に対しても、KY、ウザいといった見方をしてしまいがちです。これは先にも書いたように、とりあえず処理しなければならないことで頭が一杯で、話しかけてくる人に対しては、それを邪魔する存在にしか見えなくなってしまっているからではないでしょうか。まさに、異常な人間関係の中に私たちはいるわけです。
私たちは、子どもたちや保護者のみなさんとはもちろん、同僚や地域の人たちとも対話することを取り戻し、そこから教育をスタートさせることを大切にしなければなりません。
2013年は、国に奪われてしまった教育を子どもたちに取り戻す年です。そしてそのためには、多くの人たちと対話し、教育はそこからでしかスタートできないことを大いに発信していく年だと考えているのです。
(2013/1/1)