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関係崩壊から関係構築の年に!
2009年が明けました。
あけましておめでとうございます。
さて今年のお正月も、現場目線で現在の教育を考えていきたいと思います。
そしてこのメッセージを新年のご挨拶とさせていただきます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
●関係が崩壊している
教師と子どもたち、教師と保護者、子どもたち同士、保護者同士、親子関係、そして教師同士の関係が崩壊しています。
本来、それぞれが共同して生活していく中でお互いの自由を保障しつつ励まし合い、高め合い、そして支え合っていかなければならない関係が、競争と不信、「追い込まれ」の関係になり、そこで様々なトラブルや事件が発生しています。
そんな中で、鬱(うつ)病などの精神疾患で平成19年度に休職した全国の公立学校の教員は、前年度より320人増の4995人にのぼりました。これで15年連続で過去最多を更新です。おそらく今年度はさらに増えていると予想されます。
ちなみにこれは、休職の数であることに注意しなければなりません。現場に残りつつ苦しんでいる教師はこの何倍もいるのです。
現場の教師が次々と倒れていく……、それが日本の教育現場の実態です。
こんな実態を見ても、これは失政ではなく教師の質の問題だと言い続けるのでしょうか!?
経済的な地域格差が広がる中での学校間競争。
そして教育の課題を教師の質の問題にすりかえていく文科省政策。
そんな教師管理政策や評価制度について、私は昨年度のお正月のメッセージで次のように書きました。
-----↓ここから↓-----
教師の管理を強めようとすればするほど、教師と子どもとの関係は悪化していきます。なぜなら、教師が管理されると、今度は教師が子どもを管理するしかなくなるからです。その管理の中で子どもたちの事情や、本当の思いや願いが見えなくなるからです。
-----↑ここまで↑-----
-----↓ここから↓-----
こんなことをこのまま続けていたら、教師と子どもとの関係はますます悪化します。教師は自分の思い通りに指導できない子どもを「やっかいもの」として見るでしょう。できない子や学校に来られない子も同様の目で見られるでしょう。昨年話題になった、データの改ざんが、今度は教育現場で起こるかもしれません。
何もいいことのない、教師評価制度は即刻やめるべきです。子どもたちが犠牲になってからでは遅いのです。
-----↑ここまで↑-----
まさに私の予想していた通りの流れになってしまい、現実的には教師や子どもをとりまく関係性は予想以上に悪化しているのではないかという疑いも持っています。
にもかかわらず、あいかわらずの教師批判が続いています。
なぜなのでしょうか?
たとえば……。
●意図的な教師攻撃
一部の政治家から「日教組」を押し立てて教師を攻撃していくといった古くて新しい問題が出てきています。
日教組の問題は日教組の問題として独自に論議してほしいと思っています。
日本の教師はすべて日教組に加入しているわけではありませんし、日教組の教師の中にも子どもたちのために必死にがんばっている教師もいます。
「日教組」という「くくり」で、意図的にしつこく教師すべてを批判するといった手法はその先に何かを見通しているとしか考えられません。
追々その中身も見えてくるのでしょうが私は公教育の解体、または学校自治を認めない「超・公教育」の構築がねらいではないかと見ています。
いずれにしても今は教師を攻撃する時代ではありません。私たち教師たちが精神的に追い込まれたところで子どもたちが幸せになるはずがないからです。
さらには……、
●学校自治を無視した権力の政治的介入
学校現場の携帯電話の持ち込みルールを政治権力が決めてしまうといった驚きの内容が報道されました。
教育と政治とは距離をおくべきであるということは先の戦争の大きな教訓として大切にしていかなければならなかったはずです
教育の現場は学校が決めるべきです。政治家たちが介入していくことは危険な国への第一歩だと言えます。
# 私は携帯電話を学校や教室に持ち込むことには反対です。しかしなんらかの事情があればそこで話し合えばいいと思っています。そしてその事情をお互いに了解できるような集団でなければならないと思っています。
一方こういった教育への政治介入は学校のルールだけではありません。学習内容、そしてその教え方まで国が決めてそれを現場に押し付けてくる動きが広がってきています。
国は、免許更新制をちらつかせながら、「言うことをきかないと免許を取り消すぞ」というおどしで教師を管理していくといった最低の手段に出てきています。
「こんなことがなぜ許されるのか?」と思うかもしれません。
しかしこれは、あの[安倍無責任内閣]で、どさくさまぎれに成立させてしまった「改悪:教育基本法」がベースになっていることを頭に入れておいて下さい。こういったやり方はあの「改悪:教育基本法」に従ったやり方であることを。
●再び管理主義の広がりが
そんな中で、管理主義(放任主義含む)の教師が発言権を持つ現場が広がってきています。そして実は、自分自身の中にも管理主義の価値観が潜んでいることに、私も含めて多くの教師は自覚するべきです。
管理主義者は「権威」を求めます。口癖は「子どもになめられてはいけない」。
管理主義者は、見える成果を求めます。
管理主義者は職員室の仲間を「できる教師」「できない教師」と色分けしたがります。
管理主義者は自分がどのように評価されているのかを必要以上に気にします。
しかし管理主義者が求めている「権威」は、本当の「権威」ではありません。そこには子どもたちに恐怖と不安・不信の関係を生み出します。嘘っぱちの権威を持とうとする教師はそのことに気がついていません。
子どもたちが求めているのは安心と信頼です。そしてその安心と信頼の中にこそ、本当のキラリと光る権威が生まれてくることを若い人たちにもわかってほしいのです。嘘っぱちの権威は、その数倍の力でしっぺ返しをくらうでしょう。
子ども側にたてるかどうかはこれからの時代、自分との闘いも必要になってきます。
●関係構築は雑談から始めよう!
さて、どんなに国の権力が強引に国のためだけの教育を進めようとしても、管理主義の教育実践がうまくいかないように、国がねらっている教育政策はうまくいかないのです。
進めようとすればするほど教育の矛盾は出てきます。現在も、教育問題や事件・トラブルが噴出していることを見ればそのことは明らかです。
また、現場の多くの教師の中には、理不尽な国の権力と闘いつつ、子どもたちや保護者の側にたって実践を進めていこうとしている教師がまだまだたくさんいることも忘れてはなりません。
私たちは、現場にはまだまだ多くの仲間がいることに依拠して、そして手を結び、次のことを進めていくことを呼びかけたいと思っています。
☆スローガン
・教育の再生は、現場から!
・そしてそれは、関係性の崩壊から関係性構築の方向へ!
そのための三つの提言!
(1) それぞれの関係に「雑談」を復活させよう。
(2) 余裕と遊び心の復活を!
(3) 「助けて!」が言える関係へ。
たとえば遊び心のある授業、アイデアあふれる子どもたちが生き生きとする授業は、教師同士の雑談から生まれることが多いのです。「雑談」というのは様々なしがらみや力関係の外で進められるものだからです。
そしてこれは教師同士だけでなく、教師と子どもたち、教師と保護者、子どもたち同士、保護者同士、親子関係においても意図的・積極的に進められるべきです。豊かな雑談・対話は、新たな関係性を構築します。たかが雑談、されど雑談なのです。
さらには……、雑談ができる関係の中では、ヘルプができます。そして共同はヘルプから生まれるといってもよいのではないでしょうか。
2月に私たちの雑談から生まれた本が2冊出版されます。
『すぐできる! 学級あそび教室あそび』
『たのしくできる! 体と心をほぐす体育あそび』
⇒今までは、こんな内容は本にはならなかった!!
⇒雑談の中から生まれた遊び心いっぱいの2冊!!
⇒はたして、そこに隠された意味は??
どうぞご期待ください。
教育は死にません!!
現場目線と真実の声、そして共同への呼びかけがある限り。
(2009.1.1)