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真の教育改革は現場の声から

 

2008年が明けました。

昨年は、「学校で憲法を語ろう」の共同執筆、雑誌「小学校教育技術」の記事作成取材、朝日新聞「ニッポン人脈記」の取材等々、全生研以外のところでも活動の場を広げることができた年でした。

しかしこれらはすべて、日々子どもたちと誠実に向き合い、がんばっている日本の教師を応援したいという思いからです。けっして私自身は目立ちたくないと、あいかわらず考えています。ゆえに今年も「フツーの教師の応援団長」としてがんばっていきたと思っています。

さて、新年のご挨拶もかねて、今年も教育の現状と自分の思いを書かせていただきましたのでよろしかったらおつきあいください。

今年もよろしくお願いいたします。

●教師受難の時代

昨年は、私たち現場の教師にとってあいかわらず…、いや、ますます苦しい年になってしまいました。第二次学級崩壊の時代と言われています。そして教師の自殺、精神的疾患の急増、退職教員のこれまた増加……。教師受難の時代が続いています。

学級の子どもたちの定数を他の先進国と言われている国並に引き下げ、教師の数を増やすだけで、今の教育問題のほとんどは解決できるというのがここ数年の私の主張です。しかし国・文科省はなかなかそれを本気で進めようとしません。

そればかりか、現在の様々な教育の問題を教師個人の質の問題にして、ますますその管理を強めようとしています。

文科省や教育委員会は言います。
「国や地方自治体は、教育について万全の努力をしています」
「それでも子どもたちの学力が向上せず、教育問題が絶えないのは、現場の責任です」

現場は、その責任から逃れるために必死になっています。やってもやっても終わらない「報告」のための文書づくり。内容のない形だけの研修。日にち・時間さえかければ学校のやる気を示せると考えている補習授業。(実はドリル勉強ばかり)
これらはすべて
「現場はこれだけのことをやっています」
といった説明責任や、責任回避のための多忙化であると言えます。

そうです。国・文科省はすべての子どもの学力向上など本気で考えていないのです。国・文科省にとっては、学力が高い子は、ほんの一握りの子どもたちだけで十分なのです。六時間授業が続く中、子どもも教師もへとへとになっているにもかかわらず、それを知っていながらさらに授業時数を増やしたり、補習授業を強要したりするのは、すべて現場・教師の管理が目的なのです。

そしてその現場・教師管理と多忙化の陰で子どもたちが見捨てられようとしています。

●なぜこんなにも管理するのか

国・文科省の当面のねらいは、国による教育内容・方法の統制です。そのことによって、国のために命をささげられる人間づくりを目指しているようです。しかもそれを安上がりに進めようとしていることがセコイのですが。

そして、こうしたねらいを達成するためには教師の管理が必要なのです。教師評価制度の本格的な実施。徹底した研修による「物言わぬ教師」の育成。教師の意見表明権の剥奪。

しかし、教師の管理を強めようとすればするほど、教師と子どもとの関係は悪化していきます。なぜなら、教師が管理されると、今度は教師が子どもを管理するしかなくなるからです。その管理の中で子どもたちの事情や、本当の思いや願いが見えなくなるからです

 

●モンスターペアレンツ

現場がその責任から必死になってのがれようとしている時に、国・文科省は次の手を打ってきました。
「子どもがよくならないのは、親の責任である」
「学校に理不尽な要求を出してくる親が多すぎる」

現場はその矛先が親に向いたことにホッとしました。しかし「モンスターペアレンツ」という言葉にのっかって親を批判する風潮に対して、親の学校に対する不信感が強まったばかりでなく、学校に対するまともな要求も封じ込まれることになりました。こうして学校と保護者の関係はますます悪くなっていったのが昨年です。

教育は、学校と保護者が情報を交換しつつ、一緒になって進めていくものです。この両者が仲が悪いのでは、教育がうまくいくはずがありません。

●学力テストの真のねらい

こうした現場の多忙化と、年々大変になる子どもたちの指導、保護者からの批判の中で教師が抵抗する気力も失いかけている中、全国一斉学力テストが70億円もの予算をかけて実施されました。

この取り組みは一部の企業に儲けさせながら、一方で、地方の教育情報を中央が把握し、それを利用しながら国による教育統制を強めていこうとする取り組みであるといえます。現にその結果の報告では「宿題をやる子は学力が高い」等、バカにしているのではないかと思えるほど当たり前の内容ばかりでした。つまり、本当のねらいは隠されたままなのです。

そして、学力テストによる情報と学力低下問題を盾に、最近では、統一化された教育・授業を一斉に行い、それがやられているかをチェックをするといったことが全国に広がりつつあります

●教師評価制度はすぐにやめないと大変なことになる

東京都がいち早く教師評価制度を導入するずっと以前から、私は教師の仕事には評価制度は『なじまない』と言い続けてきました。

教育の仕事は数値目標の達成度では評価できないこと、教育の仕事は個人の仕事ではなく共同で進めるものであること、かりに教師を評価するのであっても、その評価は『何年もたってからわかる』ことがいくらでもあることをあげてきました。

最近のコマーシャル。
「俺、先生のことが嫌いでした。だから、俺も嫌われる教師になろうと思います」。
はい、そういったことがたくさんあるのが教師の仕事なのです。学期ごとや1年間で教師の評価が決まるわけではないのです。

しかしながら、教師評価制度や免許更新制等々、教師の仕事を数値化し、個人の質として評価する動きはますます強まり、ここにきて現場の「共同」が失われつつあります。

学校によっては、学校評価を勝手に応用し、保護者や子どもたちに担任を評価させて数値化し、それを職員全員に配布して話し合うといった取り組みもされているそうです。

こんなことをこのまま続けていたら、教師と子どもとの関係はますます悪化します。教師は自分の思い通りに指導できない子どもを「やっかいもの」として見るでしょう。できない子や学校に来られない子も同様の目で見られるでしょう。昨年話題になった、データの改ざんが、今度は教育現場で起こるかもしれません。

何もいいことのない、教師評価制度は即刻やめるべきです。子どもたちが犠牲になってからでは遅いのです。

 

★現場の声こそ真実の声

「教育の再生」というテーマで、上からの改革が進められようとしています。しかしその内容を聞いてみると、まったく現場の状況がわかっていない内容ばかりです。

やはり真の教育改革は、現場の声から始まるのではないでしょうか。そこで今年の私の方針と「思い」を紹介しておきます。

(1) 引き続きブログで現場の声を紹介していきますが、今年は現場でこそ声を出していくことを最初の方針として掲げたいと思います。

若い教員が増えていく中、私たちの世代が教師としての生き方をリアルに見せていかないといけないのではないでしょうか。そして、そういった生き方にこそ、子どもや保護者が信頼を寄せてくれることを示していきたいと思っています。

(2) 全国各地で話を聞いてみたいです。幸い、私は教育実践講座に講師として呼ばれる機会が多いので、その時に、各地の現場の状況をリアルに聞いてみたいと思います。

(3) 「現場からの教育改革会議」をたちあげる準備をしたいと思っています。まだ具体的なイメージは持っていないのですが、ネットを利用したものになると思います。

以上、三つの方針と「思い」をもって今年もがんばります。

●それでも日本の教師はがんばっている

現場がこんなにもひどくなっているにもかかわらず、本当に日本の教師はがんばっているのだと思います。それが国民に見えないのは、紹介されるのは、カリスマ教師や名人教師、または問題を起こした教師ばかりだからです。

日本の教師の数を考えてみてください。紹介されていない教師の数の方が断然多いことはあたりまえなのです。そしてそのほとんどの教師が、真摯に子どもたちと向き合い、一緒になって頭を抱え、悩み、苦しみ、子どもたちと一緒になって地べたをハイズリまわりながら毎日をすごしている教師ばかりなのです。

日本の教師を応援してください。そして一緒になって子どもたちを育てていこうではありませんか。日本の教師は、実は世界に誇れる仕事をしているのだと私は考えていますし、海外の記者も以下のように言っています。

「教師がこんなにがんばっている国はない。しかし同時に、教師がこんなに批判されている国もない。」

(2008.1.1)

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