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一人で悩まず、勇気を出して
全生研岩手大会問題別13分科会基調提案〜

●心を重ねること

 鑑別所面会待合室に、子どもたちが作った作品が掲示されています。その中の七夕のたんざくに、
 『良い人間になれますように』
 というのがあって、せつなくなって涙が出ました。

少年院の運動会。閉会式の時に雨が降ってきました。

雨が降る中、子どもたちがグランドに花道を作ってくれて、その間を通ってグランドをあとにしました。

駐車場は、小高い丘の上にあります。

丘の上からグランドを見てみると、なんと173名の子どもたち全員が帽子をふって見送ってくれていました。親もみんな涙を流しながら手を振っていました。

一人残らず、みんな幸せになってほしい。私も手を振りながら、心からそう思いました。

「非行」と向き合う親たちの会(あめあがりの会)メーリングリスト掲示板には子どもの「非行」で悩む親たちの書き込みが毎日のように綴られている。

私たち教師は、親たちのこういったメッセージに心を重ねる努力をしているだろうか。もう子どもの涙も、親の涙もみたくないという強い決意の元、毎日子どもたちと向き合っているだろうか。

そして、子どもたちや親をここまで追い詰めている社会に対して怒りをもち、それを変えていこうとしているだろうか。

子どもたちの「非行」を考える上で、今こそ私たちの教師としてのスタンスが問われている。

●加害者−被害者の関係を超えて

「非行」は、社会に対する「迷惑行為」という性格をもつので、どうしても加害者−被害者の関係でとらえがちである。

確かに「非行」の行為に対しては、その子の年齢に応じて、その結果についての責任の取り方を教えていく必要があるだろう。

しかし一方で、「加害者」もまた、私たち大人が作ってきた社会の「被害者」であるという見方が必要である。

そして教師は、それに加担し、増幅させてしまっていることの自覚も必要である。

そういった視点を持たない限り、親の苦しみに心を重ねることはできないし、子どもたちの自立を励ますことができないのではないだろうか。

●一人で悩まず勇気を出して

今、能力主義・競争主義の学校の中で排除されていく子どもたちの問題が年々重くなってきている。

また、学校の成果主義が強くなっていく中で、そういった子どもたちを排除していくといった現実もあり、教師の苦悩もまた大きくなってきている。

一方で子育てが自己責任化され、地域での共同的子育てが展開できなくなり、学校はそういった親に対して、しつけができていないダメ親といったレッテルを貼りがちである。

そんな中で、一人で悩み、自分を責め続けなければならない親が増えてきているのである。

こう考えていくと、子どもたちはもちろん、親も教師も個々バラバラにされ、一人で悩んでいるというのが今の構図ではないだろうか。

だとしたらまずは、それぞれが勇気を出してヘルプすることである。

そして教師もまたそのヘルプの輪に加わる必要がある。

一人で悩まず勇気を出してヘルプしていくこと。

そしてそれぞれが、すぐに答えを出そうとするスタンスを捨てて、一緒に頭を抱えて悩む関係を広げていくことが大切なのではないだろうか。

そしてそのヘルプの輪こそが、私たちを苦しめているものに対しての大きなメッセージと「力」になるのである。

(2006年6月4日)

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