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水に流す(03.5.16)

4年生の社会科で「水」の学習をするので、「水」についていろいろ調べていて、ふと気になった言葉が「水に流す」という言葉です。

「水に流す」とは、全ての穢れや邪悪を川などで清め流してしまうことが語源で、これは日本独特の文化だそうです。古来、日本人は、生活で汚れたものは川で洗い、災いや祭り、祈りの時、それに関係する品々は思いを込めて川に流してきました。そして人と人のいさかいやわだかまりといった感情もまた「水に流す」ということで収める考え方をしてきたわけです。水の豊富な国の人、水の流れに美をみる国の人ならではのこころであったのだと思います。

ところが最近では、都合の悪いことは何でも「水に流して」忘れ去ってしまうという、何となく悪い意味で使われることが多いです。しかしそもそもこの言葉は、次の成功を祈りつつ「水に流す」ということで、前向きな意味で使われてきたのではないでしょうか。

さて、どうしてこの言葉が気になったのかというと、最近の子どもたちの様子を見ていて次のようなことを感じたからです。

(1)ずいぶん前にあったトラブルや、集団の中の「力関係」をずっとひきずっている子が多い。
(2)「あの子はああいう子で、自分はこういう子」と決めつけてしまっている子が多い。
(3)ゆえになかなか仲間とわかり合おうとしないし、「課題」とも正面から向き合おうとしない。

つまり、いままでのトラブルを前向きに乗り越えられていない(水に流せていない)のと同時に、新しい自分も発見できていないということだと思います。言い換えれば、仲間や「物」との「出会い直し」ができていないとも言えます。

このような状況の中で今大切にしていきたい実践の視点はなんなのでしょうか。

一つは、子どもたちの中に、おしゃべりや対話・討論(「書きコミュニケーション」含む)を多層に保障していくということです。ここでいう「保障する」とは、そういった場を保障するだけでなく、子どもたち同士の関係性に着目しつつ、子どもたちを「つないで」いくことだと思います。

二つ目は、批判的学びや共同・自治の指導を豊かに展開し、仲間とともに生活・行動していくのには何が問題になり、そしてそれはどのようにして乗り越えていけばいいのかを丁寧に指導していくことだと思います。

三つ目が、教師自身が子どもたちや親、そして学校や仲間にはたらきかけることにより、常に新たな自分を更新的に生みだしていく事だと思います。

様々な問題から逃れようとするのではなく、そのことと真っ正面から向き合い、それをのりこえ、新しい仲間の見方や新しい自分を発見したときに初めて子どもたちは、真の意味で今までの自分を「水に流せ」るのではないかと思っています。

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