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「普通へのこだわり」から「個性の保障の時代」へ

10代の若者の残念な事件が続いています。

そしてついに千葉県富里で、不登校・家庭内暴力に悩む親が息子を絞殺するというなんともやりきりない事件が起こってしまいました。

日本の親子をここまで追いつめてしまったものはなんなのでしょうか。

「普通に育ってくれればいい」という言葉をよく聞いてきました。そしてそれは、高望みをしない控えめな表現としてとらえられてきたような気がします。ところがいつのまにか私たちはその「普通」であることにこだわり、そしてそこからはずれることへの不安と恐怖が親自身が自分を追いつめ、さらには子どもを余計に追いつめてしまうことがあるのではないでしょうか。

しかし実は「普通」などというのはないのであって、親も含めて子どもたち一人ひとりの生き方にこそ価値があることに気がつかないできたような気がします。

私はこれからは「普通」へのこだわりを捨てる時代であると思っています。つまり、それぞれの生き方や「事情」を前面に出しつつ、みんなが大きく胸をはって生きていく時代であると思っています。そしてこれからは、その生き方が保障され、認められる時代でなければならないのではないでしょうか。

そのためには当面、私は以下の3つのことが大切だと思っています。

一つ目は、子育てにおける親の側のケアの場の保障です。日本でも3才ぐらいまでは、確かに親子教室・母子教室などがありますが、それ以上の歳では、ほとんどそのようなサポートは少いようです。子育てのむずかしさや親の悩みは年齢が上にいくにしたがって重く複雑になってきています。そういった親の悩みをケアする場をもっとつくるべきだと考えています。

二つ目は、どのような子でもその発達・成長や学習を保障する環境を公的に整備することです。ちなみにこれは学校に限ったことではありません。

そして三つ目が、親と教師がお互いにわかりあえる関係をつくることです。親は教師の苦悩をもっと知る必要があるし教師も親の悩みや声にもっと耳をかたむけるべきではないでしょうか。

そしてこれらのことを切り口にして「普通へのこだわり」から「個性の保障の時代」を私たちの手でつくっていけたらいいなあと思っています。

("00.6.16)

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