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「学級崩壊」の3つの背景

1.10年前から……、いやその前から

まず、以下の私の実践記録を読んでみてください。

 新任以来6年間勤めてきたI小から現在の職場に異動し、5年生を受け持つことになった。昨年度はI小で4年生の担任をしており、同じ年齢の子どもたちを担任できるという当初の安堵感はいっぺんにふきとばされることになった。「男女の仲が悪い」「仕事を極端に嫌がる」「女子のグループ化、それにかかわるいじめ」「男子の暴力的行動、発言」「学校(教師)に対する不信感とあきらめ」。また、男女が極端に対立し、朝会の時など、Vの字に並んでしまい、まともに並べない。給食当番も男女別にやろうとする。与えられる仕事もジャンケンでその都度決めようとする。やりたくてジャンケンをするのではなく、やりたくなくてジャンケンを始める。計画性などはむろんなく、その時の運にまかせて仕事をしようとする。彼らは仕事がないことを「トクをした」ととらえる。女子は、数人の私的グループをあちらこちらに作っており、お互いに横文字の名前で呼びあっている。グループ内は閉鎖的で、交換日記で結びつき、クラスの仲間の悪口でまとまっているケースが多い。また、グループの中身は、相互規制がはたらかず、常に低いほうへ(共に何もやらない)流れる。さらに、グループ同士でメンバーの取り合いがあり、違うグループへ流れた者に対しては、かげぐち、いたずら電話、いやがらせの手紙、無視等が始まる。男子は、幼い遊びに夢中で自己規制がなく、廊下でおいかけっこやプロレスがすぐに始まる。また、弱いものに対しては「バカヤロー」等の言葉を平気であびせて嘲笑する。授業中はウケをねらった「死」を題材にした笑えないジョークを連発する。学校の行事に対しては、極端に嫌がり、不満を持ちながら取り組むものはまだよく、多くはアキラメでしかたなく参加している。教師に対しても不信感を持っており、私に対しても本音でなかなか語ろうとしない。リーダー的な子に対しては「ぶりっ子」と、あからさまに批判し、無視し、公的な仕事に関しては何でも押し付けようとする。これだけ問題がありながら、帰りの会等ではまったく発言がない。また、私から個人の問題、悩み等を班やクラス全体に提起しようとすると、翌日の通信ノートで「プライベートな問題をみんなに知らせるな」と書いてくる。このままでは1ヶ月もたない。そんな危機感をもった。

これを読んで、現在の小学校の高学年も大変だなあと思われた方がたくさんいらっしゃるかと思いますが実はこれは、1988年8月に大阪で開かれた全国生活指導研究協議会第30回大会の[女子の問題行動と集団づくり]という分科会に報告された実践記録です。つまり10年前の記録なのです。

続いて、次の私の記録を読んでみてください。

 とびこみの6年生の学級である。5年生の後半にはすでに教師の指導が入らず、父母が心配して授業を交代で参観しながら毎日をすごす学級であった。教師や仲間の発言に対してのヤジやチャカシ、あきてきたら平気で立ち歩いてしまう。さらには参観していた父母があまりのひどさに注意したところ、「ウルセー!ババー!ケーレヨ!!」と逆にどなられ、恐ろしくなってしまったと言う。担任は、最後には子どもの安易な要求をなんでも認めるしかなくなり、教室には様々なおもちゃやゲームが持ち込まれていた。教室にはゴミが散らかり、私も朝、教室に入るとすぐにゴミ拾いをする習慣がついてしまった。そして私がゴミを拾っていても、誰も手伝おうとはしなかった。とにかく話を聞かせるのに一苦労であった。ちゃかし、暴力、立ち歩きは男子が中心。一方女子はそれらの喧騒から身を守るようにあちこちに閉鎖的なグループを形成していた。そして、朝自習や休み時間にはトランプに夢中になっていた。放課後てっきり下校したものだと思い教室に入ってみると、女子が数人「こっくりさん」をやっていた。女子のグループの間ではやはり友達関係のトラブルが目立ち、無視や仲間外れの事件が毎日のように起こっていた。

これは一番最近の実践で「飛び込み」の6年生を担任したときの実践です。つまり私が言いたいことは、10年前からすでに今の小学生の「荒れ」の問題は吹き出していたということ、いやそれ以前から「学級崩壊」の状況が存在していたのに、それがなぜ今になってこんなにも大きな問題として取り上げられるようになったのか。そのことをまず考えてみたいと思っているわけです。

2.「荒れ」なのか「学級崩壊」なのか

最近は、「荒れ」よりも「学級崩壊」という言葉をたくさん聞きます。しかし、どうもこの二つがいろいろ混乱しているような気がします。

「学級崩壊」というのは、一つのクラスが授業が成立しなくなることを言うのだと思います。このことと、子どもたちの「荒れ」の問題とを混同してはいけないと思います。つまり、「子どもが荒れている」=(イコール)「学級崩壊」ではないし、「子どもが荒れている」(だから)→「学級崩壊」ということにはならないということです。

また、マスコミであのような形で特集を組まれることで、「学級崩壊」という言葉が一人歩きして、多くの教室で授業が不成立状態になっていると思われるのは困ります。全国の学校では、崩壊しない教室の方が圧倒的に多いわけです。つまりこのことで、教師の質を問題にするのはやはり変です。

また、多くの教師が「学級崩壊」という言葉におびえ、指導がうまくいかなくなった時に簡単にあきらめてしまったり、小学校が大変だから中学校や高校はもっと大変になると、過度な心配をするのもマズイかなとも思っています。

3.「学級崩壊」の3つの背景

繰り返しますが、いわゆる「学級崩壊」状態になってしまうクラスは、私が教師になった時(18年前)からありました。それがなぜ今、このように取り上げられるようになったのかということ…、そのことが問題なのです。

一つは、子どもたちの様子がどうもわかりにくいと感じられることです。一見問題のない子が衝動的に荒れたりキレたり、幼児的自己中心性があまりにも強かったり、どこまでも自己を正当化し、正義感によるふりかえりが見られなかったり、自分の欲求や感情を絶対化したりする傾向が強かったり…、そういった子がたくさん出てきているのです。これは現代の子どもたちをどうとらえるかの問題、つまり今は「荒れ」の問題として、いつの時代でも研究し続けていかなければならない課題だと思います。

二つ目は、父母のみなさんと学校・教師とのすれちがいやトラブルが以前に比べて多くなってきているということです。「学級崩壊」は最終的には、担任が病気になってしまったり、交代したりすることが多いようです。そしてその「とどめ」となるのは、ほとんどが父母のみなさんの「ダメ教師」というレッテルだそうです。これらは、父母のみなさんにも教師の方にも「共同の学級づくり」「共同の子育て」という視点がなくなってきているので、お互いの声を上手に受けとめられなくなってきたという面があるのではないでしょうか。

三つ目は、『教師集団としての学校』が成立しなくなってきているということです。つまり、授業が成立しなくなってしまうクラスは以前からあったわけですが、その時は職場の仲間が励まし、援助し、グチを言い合い、なんとか子どもたちと一年間がんばれたものです。しかしながら今の多くの学校ではそういった教師同士の関係がなかなか見られません。

このような中で、どの教師でもいつ授業不成立状態になっても不思議ではない状況が出てきているわけです。しかし、こういった背景を考えずに、子どもとうまく「結べない」教師はやめてもいいのではないかという声が世間にはたくさんあるようですが、確かにそう言われてもしかたがないケースもあるかもしれませんが、そういった教師の質の問題だけではないのが、今の問題状況なのです。

4.みんなで乗り越えるために

こういった状況の中で、まずやってほしいことは、30人以下学級の早期実現と、専科や実験助手、さらにはTT(ティームティーチング)などの教員をふやすことです。

また、教師だけでなく、養護教諭や用務員をはじめ、事務や図書館司書、カウンセラーなど、様々な専門的な仕事をもった職員を学校に配置することです。

さらには、学校行事やきまりなど、地域住民のみなさんの声を大いにとりあげられるような組織づくりにつとめて、子ども・父母・教師の三者協議による学校運営を進めるような学校づくりを進めることです。

子どもが悪いとか、教師の質の問題や家庭のしつけの問題にすりかえていく前に、こういった環境を整備しつつ、子どもたちが真に学校の主人公として活躍できるようにお互いに努力していこうではありませんか。

(1999/03/07)

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