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「荒れ」と楽しくつきあおう [その1]熱血教師をきどろう!
子どもにとっては、熱血教師ほどダサいものはない。
人生をもっともらしく語る教師もうざったい。
頑張ることはみっともない、まじめなやつを見ると超ムカツクのが今の子どもたち。
だったら逆にそれを逆手にとって、熱血教師をきどってみよう!そしてそれを子どもと一緒に笑いとばしてみよう。
新しい世界が見えてくるかも…。
そして勝負はそこからだ![その2]いじけ上手になろう!
何か子どもにやってほしい時……。でも…、どうせやってくれないだろうな、やる子は出てこないだろうな…、と予想できる時……。
そんな時はあえてわざと頼んでみて、断わられることを楽しもう。
そして予想通り断わられたら「待ってました!」といじけてみよう。
ここではなるべく同情をかうように演技が必要。
すると、「しょうがねえな、やってやるか!」と腰をあげる子どもが必ず一人は出てくるはず。
でもここですぐにやってもらうのはまだ早い。一回くらいはつっぱねよう。「先生、いじけてんじゃねえよ」ときたらしめたもの。
ここのタイミングをはずさないで気が変わらないうちに仕事をたのもう。[その3]荒れてるからこそ生まれるもの
荒れたクラスを担任したときほど実践の自由が楽しめる時はない。
子どものためになると思ったらなんでもやってみよう。
さらに、荒れたクラスは話題の宝庫だ。たくさんの失敗を仲間に大いに語ろう。職場の仲間も、こんな時は必ず話をきいてくれるはず。
そしてそんな対話の中から、仲間との共同の実践も生まれるのです。[その4]すれちがいを楽しむ
子どもとのすれちがいは対話の始まりだ。
子どもが聞いたことのない歌を歌っていたら、
「なに?その歌?」「誰が歌ってるの?」
と聞いてみよう。そしてさんざん説明させたあと、
「どうしてそんなのがいいんだよ!」
と一言いってやろう。
「オジン!サイテー!」
とオチがつけばしめたもの。
逆に子どもの文化に追いつこうと、必死になって若者文化の中に自分をおこうとする教師は、無理が見えてしまって、それこそダサイと敬遠されます。
自分らしさが一番なのです。