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 2003年12月22日のエッセイ「安全な学校に」に対して、いろいろな所でいろいろなご意見をいただきました。
 その内容は、守衛さん(警備員)を公立学校に配置することに対しては、ほとんどが賛成の意見ばかりでした。また、私立学校では、すでに警備員が配置されている学校が多く、安全面において成果があがっているというお便りもいただきました。
 そしてその上に立って(賛成であるという上に立って)、以下のご意見をいただきました。大きくわけて三つです。

 一つ目は、子どもを守るために(教師自身も身の安全を守るために)、私が「おかしい」と言っていた、学校に武器を置いたり、教師がいざという時に闘うための訓練が必要ではないかというご意見です。

 二つ目が、こういった事件はめったに起こらないし、いくら警備員を配置したところで完全に安全だとは言えない。そんなことよりも日常的におこっている「いじめ」や「体罰」についてもっと真剣に取り組んでほしいというご意見です。

 そして三つ目が、多くの学校は、校門だけでなくいろいろな所から入れるということ。つまり、警備員を配置したところで、安全だとは言いきれないというご意見です。

 まず、教師の訓練についてです。
 私は、そんな訓練をしないようにするためにどうすればいいのかを考えましょうと言っているわけです。ゆえに、校舎内に武器を置いたり、教師がその武器を持って訓練するということは、「方向性としておかしい」と書きました。
 「事件がおきました→さあ武器を置きなさい。訓練しなさい」ではなくて、「事件が起きました→事件が起きないようにどうすればいいのか考えましょう→子どもの安全のための環境づくりは行政こそが責任をもって整備してほしい」ということを言いたいわけです。
 今回の事件が起きても、文科省のスタンスは、マニュアルを徹底させろだの、鍵をしめる責任者を明確にしろだの、あいかわらず「現場でなんとかしなさい」というスタンスです。現場では可能な限り、安全のための対策をたてることは当然ですが、行政もなんとかしてくれないと解決にはならないのではないでしょうか?

 次に、日常的におこっている「いじめ」や「体罰」についてこそ、もっと真剣に取り組んでほしいというご意見についてです。
 京都の事件が起きた同時期、文科省から「2002年度に処分をうけた教員の数」が実にタイミングよく発表されて報道されました。(12月22日)
 私たちはこのような事実をきちんと受けとめて、あらためて襟を正さなければなりません。また、いじめ問題に限らず、今子どもたちに起こっている様々な課題について真っ正面から取り組むべきであると考えています。
 しかし、警備員を置くことを要求することが、そのことを軽視することになるのでしょうか?むしろ、そういった問題に真剣に取り組むためにも、安全な環境を整備してほしいと考えています。

 最後に、警備員をおいたところで、完全に安全とは言えないというご意見についてです。
 確かにその通りで、そもそも学校というのは、侵入者を防ぐというツクリを想定していなかったのだと思います。どちらかというと、あえてオープンなイメージでつくられてきたのではないでしょうか。(あくまでもツクリについてオープンであるという意味で、学校そのものがオープンであるかどうかは別だと考えています)。そういった意味では、学校のツクリは、地域の公園に近いイメージがあるのかもしれません。

 こう考えてみると、学校だけでなくて、地域でも危ない。公園で遊んでいる子どもがおそわれることも大いにあるわけですね。
 このように考えていくと、学校の危機管理だけの問題ではないのかもしれません。つまり「地域の中に学校がある」と考えてみると、学校だけの問題ではないわけです。
 学校の安全対策は、地域の安全対策でもあるわけで、学校と地域が子どもたちの安全のために具体的に何ができるのかを真剣に考えなければならない時代になったような気がしました。

 しかしだからと言って、警備員をおく必要はない、ということにはならないと思います。私立学校では成果があがっているのは事実なのですから。むしろこういった要求は、地域・住民の要求の一つとしてなされてもいいのではないかと考えています。

(12.30)