教育のサービス化政策

一 教育の「サービス化政策」の中で

教育を「サービス」の質の問題としてとらえ、教師間・学校間の競争をあおる政策は、私たちの現場に様々な困難な状況を生み出しています。

●説明責任と責任回避

「教育サービス化政策」は、その説明責任を果たし、一方でその責任回避をするために、私たちに異常な多忙化を生み出すことになりました。

やってもやっても終わらない「報告」のための文書づくり。内容のない、形だけの研修。これらはすべて、「学校はこれだけのことをやっています」といった説明責任や、責任回避のための多忙化であると言えます。

また、こうした説明責任と責任回避のための仕事は、子どもたちや保護者に「あとは、自己責任・自己負担でお願いします」といったメッセージも同時に発信していることを自覚する必要があるのではないでしょうか。

子どもや保護者とのすれ違いやトラブル多くなり、保護者からの「理不尽」と思えるような要求が増えてきたように感じ始めた時期は、こうした自己負担・自己責任を強いる教育政策が広がった時期であったことを私たちは再度確認する必要があります。

ちなみに、子どもや保護者との共同して教育を進めようとする教師ほど、子どもや保護者とのすれ違いやトラブルに遭遇してしまうことが多いことに注意しなければなりません。なぜなら、共同を求める教師は、「教師としての責任を果たしていないのではないか」と最初は見られがちだからです。ゆえに私たちは、その出会いにおいて丁寧な説得力のある出会いをしていく必要があるのです。

●教師が考えることを許さない政策

全国でいよいよ本格的に導入される教師評価制度は、免許更新制度とセットになって、教師間の共同を崩し、「上」に従順な、物を言わぬ、考えることを許さない職場をつくることになっています。。また、新採教員にはりつく指導員制度も、その内容が問われることなく密室状態で進められているところも多いようです。

同時に、教師一人ひとりの意見表明権も、「情報管理」「危機管理」という名目で、規制され始めていることにも注意をはらう必要があります。

そんな中で、上からの政策が、教師の思いや子どもたちのリアルな生活現実を無視して、どんどん進められてしまう状況の中で私たちは苦しんでいます。

●教育格差と学校不信

学校間競争は、統廃合問題を加速させるばかりでなく、教育格差を広げることになりました。学級の半分以上が私立受験をする学校と、子どもたちが荒れて授業が成立しない学校が同じ市内(区内)にある、といった光景も珍しくなくなってきています。

こういった教育格差、学校間格差は、子どもたちや保護者の学校不信をさらに広げる悪循環になっていることにも目を向けなければなりません。地域の中の「オラが学校」が、自分たちを差別・評定する機関になってしまったことを子どもたちや保護者は感じ始めているからです。

また一方で、終わりのない、市場化された上昇競争は、子どもたちの心をむしばみ、他者に対して信頼が持てない子ども、親子関係を極端な抑圧関係としてとらえる子どもを生み出しています。そんな中で、悲しい、残酷な事件もあとを絶ちません。

●教育基本法がさらに私たちをしばる

十分な論議もせず、「学力低下問題」「教師の質問題」等々を意図的に広げて成立させてしまった教育基本法の改悪は、今まで述べてきた「困難」を法的な裏づけとしてさらに私たちを縛ろうとしています。そんな中で、教師や子どもたちの生きる権利も奪われようとしているのではないでしょうか。

そして、実践の自由が奪われ、子どもの問題が教師の力量の問題として評価され、一人で悩みを抱えなければならない状況の中で、精神的に病んでしまう教師も急増しています。

教師たちの悲鳴が聞こえてきます。そしてその悲鳴は子どもたちの悲鳴でもあることを忘れてはなりません。

二 三つのキーワード

さて、このような困難の現場状況の中で、私たちはどのような視点を持てばよいのでしょうか。

一つ目は、ヘルプから共同へという視点です。

それは、悩んでいる仲間にはたらきかける仲間づくりから、自ら悩みを語り共同を呼びかける仲間づくりへの転換でもあります。そしてそれは管理職も含めた全職員へと、ヘルプの輪を広げていくべきです。

一方で、保護者への共同の呼びかけも大切な視点です。

そしてその時に、私たちはサービスを提供しているのではないこと、お互いの役割を担いながら足りないところをカバーし、一緒になって子どもたちを育てていくこと、を呼びかけるべきではないでしょうか。

また、保護者から相談をうけた時にも、すぐにその解決方法を示すのではなく、まずは一緒になって頭を抱え、悩むことが大切です。保護者はすぐに答えが出ることは期待していません。あれこれと指図されることも好みません。まずは一緒に悩んでくれる仲間を求めているのが今の保護者の思いだと思います。

二つ目は、子どもたちの自治の再建です。そしてそれは、子どもたちを「真ん中」に据えなければならないことはもちろんです。

子どもを「真ん中に据える」とは、子どもたちのリアルな生活現実に目を向け、そこから実践をスタートさせるということです。また、子どもたちに全うに生きる「権利」を気づかせ、そのための行為・行動を指導していくことでもあります。

三つ目は、教師の「生き方を問う学び」を広げることです。

今私たちは、文科省の方針に従順な「優等生」として生きるのか、それとも、子ども、保護者の側に立ち、国の方針にも意見する教師として生きるのかが問われているような気がします。

若い人たちがどんどん採用されてくる時代になり、「すぐに使える教育方法」を伝授する形での教師の「学び」が広がっていますが、私たちはその「教育方法」のベースに「教師の生き方を問う」ことを大切にするべきだと考えています。なぜなら、そのことなしには、真の仲間づくり、学校づくりは成り立たないからです。

教師のみなさん。私たちは一人ではありません。同じ悩みを抱えている仲間がたくさんいます。今こそ、現場からの声を出していこうではありませんか。

(2007.8.9)

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