自己負担・自己責任をベースにした「教育改悪」

2005年が明けました。昨年は、文科省が次々と打ち出す、自己負担・自己責任をベースにした「教育改悪」によって、親子関係の問題が噴出した年になってしまいました。

子育てに、ある程度「自己負担」ができる層は、お金をかけながら子どもに「期待」を強いる子育てを始めてしまいました。そしてそれらは、これまでの 能力主義競争以上に過酷な形で、子どもを無視した親のプライド競争の様相を見せながら進んでいるように見えます。

いや、その競争は、参加しなければ地域で(近所で)付き合いができないのではないかという強迫的な思いまで抱え込んでいる保護者もいるのではないでしょうか。

一方、子育ての「自己負担」に苦しむ層の子どもたちは簡単に切り捨てられ、なかなか進路が保障されない現実が生まれています。そしてその層は、年々広がっています。

そんな中で、子どもが親を「殺す」ことでしか自立の道が見えなくなってしまった悲しい事件が昨年は次々と起きてしまいました。そしてそれらは、上記の両方の層から起きていることに私たちは注意をはらわなければなりません。

一方学校は、「学力向上」を打ち出しながらも、形だけの「習熟度別クラス」や、「時数の確保」という「言い訳」ばかりに追われて(そのために意味のない忙しさばかりで)、真に子どもたちに生きる力を育て、進路を保障する指導がなかなかできないでいます。

また、保護者と学校・教師とのトラブルは、対話による解決の努力を一気に飛び越えて、裁判に訴えるケースが増え、教師は個人で損害保険に入る現実も広がってきています。このことは、こうしたトラブルについては学校はすべて教師個人の問題にしていこうとする動きともリンクしているのではないでしょうか。

さて、このような状況の中、2005年はさらにどんな動きが予想されるのでしょうか。

まず、「学歴選択の資格を取得する」ものとしての「学力保障」の要求が学校に対してますます強くなることが予想されます。

しかし文科省は、一定程度それを保障するポーズを見せながら、一方でその世論を利用しつつ「学校制度の自由化」を推し進め、学校間の競争を激しくさせ、学校の公共性を壊していくことが予想されます。

またその過程で、教師の数値による評価と差別化がはかられ、「安上がりに採用でき、上からの支持に無批判に従う教師」を増やしていくことをさらに強めるでしょう。

こうした教育の公共性の破壊は、ますます子どもたちや親、そして教師を苦しめるばかりです。またその延長線上に、教育基本法…、そして憲法改正の動きがあることは言うまでもありません。

そこで今年は、保護者・住民と手を結びながら、「主人公として生きる民主的な人格」を育てるための「子ども集団づくり」が強く求められる年になると考えています。

「子ども集団づくり」は、子どもたち自身が自分たちの要求を声にしながら行動化し、子どもたち同士はもちろん、教師や親、地域と手を結びながら自治していく力を取得していきます。

教師はそのために、まず子どもや親の現実をしっかりと受け止め、対話を広げていくことが大切です。

そしてその対話をベースにしながら、その声を組織化し、その組織化の中での「出会い」から子どもたちは「新しい自分を発見」していくような指導を進めていく必要があります。

また、職員室では「指導は集団的なものである」ことを宣言しながら、「上からの」評価が高い職員も、そして低い職員も一緒になって集団的に子どもたちを指導していくことを事実として展開していこうではありませんか。

個人的にはこれらのことを進めていく武器として、今年もインターネットを大いに利用していくつもりです。

教師から、その現実やメッセージを発信していくことは、共同の輪を広げる上でも大切なことだと経験的に思います。今年も、「ザ・教室」及び「ザ・教室blog」も、よろしくお願いいたします。

以上、新年のご挨拶とさせていだたきます。本年もよろしくお願いいたします。

(2005.1.1)

[HOME] [教室からのエッセイ一覧]