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<4年生>(2003.11.17/校内研授業)

 

 浦安市はこの20年間で急激に人口が増えた年です。

 2003年度にはついに14万5千人を超える人口になりました。

 そこで、どうしてこんなに急激に人口が増えたのかを考えてみることにしました。

(写真は、T2のK先生)

 浦安市の人口が急激に増えた理由を調べたチームの発表です。

 理由を次の3つで考えていました。

(1)2回の埋立事業が行われた。

(2)その埋め立て地にマンションが次々と建った。

(3)地下鉄東西線やJR京葉線が開通し、通勤が便利になった。

 埋立事業の場所についても、地図で色分けをして説明してくれました。

 1977年から次々と建ったマンションとその戸数をすべて調べて、その場所も発表。

 場所を磁石でしるしてみると、そのほとんどが埋め立て地に固まっていることがわかりました。

 次に、そのように人口が増えていく中、小学校が次々とできていく様子を次のチームが発表しました。

 一校一校の写真とクラス数、そしてその年の主な出来事をプロジェクタで映して発表しました。

 また、それぞれの学区についても大きな地図を使って発表しました。

 学校によって、学区の広さが違うことがよくわかりました。

 さて、このように学校が次々とできていく中、美浜北小学校(本校)も11番目の学校として誕生しました。

 実は、本校はお隣の入船北小学校の分離校として誕生したのです。そこで、入船北小学校に取材に行ったチームが、どうして分離するにいたったのかを調べて発表してくれました。

 最初の理由は、入船北小学校は開校3年目で児童数が1300人をこえてしまったことがわかりました。写真では、その3年間の児童数の増加をグラフで説明しているところです。

 そして校舎が足りなくなり、プレハブ校舎が2つもできました。

 当時のプレハブ校舎は夏はとても暑くて、冬はとても寒かったそうです。

 そしてついに入船北小学校は分離することになりました。

 実はその年、しおちゃんマンはその入船北小学校の一年生の先生でした。

 写真は、分離三日前の一年生がお別れ会をしている様子を映しているところです。まだ25歳のしおちゃんマンも写っていました。

 昭和58年。美浜北小学校が誕生しました。

 航空写真で見ると、入船北小学校と美浜北小学校はすぐ近くにあることがわかります。取材チームのメンバーから、入船北小学校の子どもたちと仲良くしてみたいという声も出ていました。

 さて、このように浦安市の人口はどんどん増え続けているのですが、本校の児童数の変化のグラフをその上に重ねてみると不思議なことが出てきました。

 つまり、市の人口(赤い折れ線グラフ)がどんどん上がっているのに、本校の児童数(青い折れ線グラフ)はどんどん減っているのです。

 そこで、それはどうしてなのかを、まず個人の考えをワークシートに書きました。
 個人で予想した後、次は班で各自が意見を持ちより、話しあいました。
 そして話し合った内容は、班の意見として画用紙にまとめて発表の準備をします。

[一班の考え]

●浦安市の人口が増えて、ほかの小学校が人気になってきた。

●いろいろな小学校やマンションができて、そこに行ってしまったから。

[2班の考え]

●新しいマンションの近くに行く(新しいマンションに引っ越す)

●他には新しいマンションがいっぱいあるから。

[5班の考え]

●美浜北小の近くのマンションが少ない。

●美浜北の後の学校に移ってしまった。

[4班の考え]

●学区がせまい。

●赤ちゃんが生まれない。

[3班の考え]

●美浜北小の後にできた学校に移ってしまった。

●学区がせまくて、子どもが住める場所がない。

 それぞれの班の発表に対して「本当にそうなの?」をテーマにして、新しい調べ学習が展開されることになりました。

(新しいマンションに移ることと関わって)
・他のマンションの様子や値段

(学区がせまいことと関わって)
・学区ごとの人口と、それぞれの子どもの数。

(赤ちゃんが生まれないと関わって)
・学区ごとの世代別人口。

(他の学校が人気になってきたという意見と関わって)
・他校の4年生にいろいろなことを取材してみよう。