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スーパーオリエンテーリング'98

2.自主集会へのチャレンジ
 私は、児童会活動衰退のにおいが出始めた90年代の最初から自主集会のイメージを持っていました。つまり自主集会は、民主的な取り組みに対しての攻撃をかわしたり、逆手にとったり……の中で生まれた実践なのです。

 一つは、先にも述べたように、児童会役員選挙を無くしていこうとする動きに対してです。まず、これまでの「演説」「投票」といった形式的な選挙を見直していきました。その中でまず手をつけたのが選挙運動です。実は、この選挙運動が「自主集会」のヒントになっているのです。
 それまでは、朝自習や給食の時に立候補者がそれぞれの教室を回る活動が中心でした。つまり立候補者の方から出向くといった発想です。その発想を逆にしてみたのです。つまり立候補者が「人を集める」という発想です。
 まず立候補者は自分の演説会の日時と場所を確保ます。そしてその演説会に多くの人を集める取りくみをするのです。そして演説会で様々なパフォーマンスを繰り広げます。ダンスや仮装、歌声などです。もちろんそこでは、方針とそれにたいする質疑も行われます。立候補者は後援会をクラスを超えて組織し、楽しみながら選挙運動を進めるのです。演説会の場所は主に校庭ですが、休み時間には校庭のあちこちでこの演説会が繰り広げられます。これが「自主集会」の原点になったのです。

 次にこれまでの「演説会」の改革です。これまでは、立候補者が順番に演台で演説をして、それを聞いてその場で投票といった形でした。これではあまりにも形式的でおもしろくない。演説の内容も子どもの生の声が聞こえてこない。これでは「選挙は不要」という声があがれば簡単にみんな賛成してしまう。もっとスリルにあふれた「演説会」はできないものだろうかと考え出したのが、「徹底討論選挙」でした。
 まずフロアに立候補者が全員いすに座って並びます。そしてそこで事前のアンケートに基づいて考えておいた討論の柱にそってパネルディスカッションを繰り広げるのです。時々フロアからも質問や意見も受け付けます。そしてその討論の様子を聞いて、その場で投票するのです。

 これがなかなかおもしろい。子どもたちも教室ではみられないくらいの多くの発言をします。他の先生方にもなかなか好評で、特に子どもたちの活発で生き生きとした様子に喜んだ管理職が、頼んでもいないのに本当の市の選挙管理委員会に連絡して本物の投票箱をレンタルしてしまったというおまけまでついてしまいました。

 「自主集会」を思いついた二つ目のきっかけは、これま前述したように、五日制にかかわって、児童会の行事をなくしていこうとする動きでした。
 休みが月2回になる前の年、特活部会で児童会行事精選について話し合われました。参加者はなぜか児童会担当の私に気をつかっていてなかなか話が進みません。教務も参加していましたが、本当は時数確保のために児童会行事をカットしたくてしかたがないのです。いらいらしてきた私は、

私:「みなさん、黙っていないでいらないものはどんどんなくしていきましょうよ。まず1学期のオリエンテーリング、これはいりませんね。次に児童会祭り、これもいらないでしょう。先生方の準備が大変で授業が遅れがち、という声もあることですし……。とにかく児童会の活動なのに『教師が子どもにやらせている』と考えられる行事はすべてなくしていきましょうよ」

と言ってしまいました。この発言がきっかけで、一つひとつの行事の意義、そして児童会活動そのものの意義が活発に語られたのです。そして本当に子どもたちが自主的に活動するイメージを出しあった時に、選挙運動の子どもたちの様子が語られ、「自主集会」の発想が生まれてきたのです。

 さて、「自主集会」は3人以上集まり、児童会役員に申請し、代表委員会で承認されれば、どんな集会でも開くことが出来ます。活動時間は主に休み時間です。イメージとしては、休み時間に校庭や校舎内、体育館、屋上などで、小さな集会があちらこちらで開かれていると考えていただければいいと思います。これまでには、ダンス集会ビデオ鑑賞、チャレラン的なもの、スポーツ的な集会、将棋名人戦、コンサート集会などが開かれてきました。主催は、私的な仲間であることもあるし、クラスや学年、委員会やクラブの時もある。コンサート集会では、バンドをやっている先生も参加して子どもたちと共に楽しんだこともありました。

(つづく)