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しおちゃんマンの1年生日記[3月編]

●送る会の練習(学級通信NO.191より)
6年生を送る会の1年生の演技の練習が進んでいます。明日3日の3時間目は、最後の練習とリハーサルになります。

ナレーターの子は、どの子も元気いっぱい。
ねこバスの子は、とってもかわいく走ります。
ミルクムナリのダンスとリズムは、かっこいいね。
組体操は、練習の成果が出るかな?
最後の「思いでのアルバム」は、気持ちをこめて歌おうね。

ミルクムナリのダンスは最初に6年生に来てもらって少し教わりました。でもやっぱりむずかしくて、なかなか上手におどれませんでした。それでも、なんとか1年生らしく、かわいらしく、かつかっこよく、踊れるようになりました。リズム打ちの人も、リズムがそろうようになりました。

組体操は、補助倒立を中心に練習しました。扇も、やってみてとってもむずかしいことがわかりました。最後のタワーは、ちょっとだけ反則?(^_^)

#跳び箱の上にのっちゃいました。

6年生がやってきた演技を実際に取り組むことで、6年生のすごさやりっぱさがわかりますね。

卒業式は、5年生しか出席できませんし、儀式の要素が強いので、この「6年生を送る会」が、全校で6年生をおくる大切な行事ですね。他の学年もがんばっているので、1年生も負けずにがんばりましょう。


●サンドウィッチ(3/2火)
今日、6年4組の子どもたちから、サンドウィッチをもらいました。卒業にむけての6年生の取り組みの一つです。手紙つきで、その手紙には、

いつも兄弟学級のクラスとしてお世話になりました。そのお礼として4人で作ったサンドウイッチは、お口にあうかどうかわかりませんが、食べてみてください。これからもかわいい一年生のお世話をがんばってください。

と書いてありました。そこで返事として、

とてもおいしいサンドウイッチありがとう。
気持ちがおいしい味となって伝わってきました。
6−4では君たちが一番上手な料理の達人!、と勝手にしおちゃんマンが決めました。

ごちそうさま〜っ!

と書きました。


●家の人に見てもらいました(3/3水)
今まで本校では「学習発表会」というのがこの時期にあって、父母のみなさんを呼んで、6年生を送る会の演技を中心に子どもたちの学習会の成果を発表していました。

しかし時数の関係もあって、学習発表会がなくなる方向になって、父母のみなさんからは「残念」という声がたくさんあがっていました。

でも、練習風景を見るのならいっこうにかまわないので、6年生を送る会の最後の練習を見てもらうことにしました。

平日の10:40からということもあって、来てくれたのは各クラスの3分の1くらいのみなさんでしたが、子どもたちは家の人の前ではりきって演技をしていました。


●6年生を送る会当日のハプニング(3/5金)
今日は6年生を送る会の当日でした。どの学年も、とっても感動的な演技で、6年生の子どもたちも感激していました。

#準備については、ホームページをご覧ください。

ただ、最後の「くす箱」が、二つのうち一つが、ひもをひっぱったとたんボテンと落ちてしまいました。f(^^;;

んんっ、代表委員も私も、それだけが残念。その他がとてもうまくいっていただけに……。

落ちてしまった方のくす箱を中心になって作ってくれていた子ががっかりしていたので、しおちゃんマンの絵の「努力賞」をあげたら、とっても喜んでくれたのでホッとしました。


●トラブル(学級通信 3/3水 NO.192より)
今年になって、学校と父母のみなさんとのトラブルが増えたように思います。うちの学校だけかと思ったら、どうやらそうではなくて、トラブルは、全国的にあちこちで起こっています。

本来は学校というのは、その地域のものですから、父母のみなさんや住民のみなさん、そして子どもや教職員が一緒になって盛り上げ、その教育効果を高めていくものだと思うのですが、どうやらそういう見方は最近ではあまりありません。最近では、学校は当然得られる一種の安上がりのサービスとしてとらえられているようなのです。つまり、サービスが悪ければ当然文句を言うし、場合によっては教育委員会に訴えて担任を変えたり、それでも改善されなければお金を出して他の教育サービスを受ければよいという価値観です。また、子どもが行きたくないといえば行かなくてもいいという価値観さえも広がっています。こういった価値観は、学校完全五日制にむけて、学校に対する意識が小さくなっていく中で、ますます広がっていくと思います。しかし、にもかかわらず、一方で学校は、あいかわらずの「お上(かみ)意識」が抜けていませんから、「学校の言うことに父母は協力するべきだ」という価値観をいまだに多くの学校は持っています。

それぞれがそんな意識でいるのですから、トラブルが起こらないはずはありません。

しかし私はこれらのトラブルをあえて歓迎したいと思います。なぜなら、父母のみなさんの「学校参加」のきっかけとしてとらえればいいと思うのです。学校との対話の場の広がるととらえればいいのですから。


◇教室風景◇

●軍艦、軍艦、朝鮮〜(学級通信NO.200より)
子どもちが「グンカングンカン チョーセン」といってジャンケンをしていたので、昔から遊びは変わっていないなあと思っていたら、いきなりものすごい音をたてて相手の手の甲を叩いたのでびっくりしてしまいました。

さらに見ていると何かルールがあるようで、やはり何かのひょうしに相手の手の甲を思いっきり叩いているのです。そのうち、やっていた女の子の手がみみずばれになってきたので、あわててやめさせました。

誰が始めたのか聞いてみると、どうやら高学年で流行っているようで、兄弟がいる子が上の子から教わってやり始めたようです。

こういった遊び(罰ゲームとしてシッペなどがある遊び)は、前からありましたが、あそこまで思いっきり叩くのはありませんでした。

「根性試し」といって、どのくらい痛さに耐えられるかというやつがありましたが、子どもたちがやっているのはそれに近いのでやめさせました。

なんでもかんでも禁止するのは好きではないし、間違いだと思いますが、子どもたちがやっていたのは、あまりにも度が過ぎていると判断しました。

考えたいのは、今の子どもたちの中に、体を痛めつける遊びか広がりやすいことの恐ろしさです。そしてそのことは、相手の手が真っ赤になってきているのに、それがどのようなことなのかがわからないことの恐ろしさでもあります。

PS: ところで「軍艦、軍艦、朝鮮。朝鮮、朝鮮、ハワイ〜」というのは、どういう意味なんでしょうね。


◇25人学級の運動

●25人学級を今こそ(学級通信NO.196より)
子どもが少なくなっている今であるからこそ、1学級の定数を減らしていくチャンスなんですよね。

T小では、新3年生と、新5年生がボーダーといって、3クラスになるのか、4クラスになるのかギリギリのセンなんです。4月から25人が無理ならば、せめて市内のボーダーのクラスだけでも、その定数に幅をもたせるように訴えかけています。

市内の保守系の議員さんの何人かは反対しているそうですが、その反対理由は、上が(県や国が)40人にしろと言っているからだそうです。ご存知のように、昨年から各地方で定数を決められることになっています。それを知っているのにこんなこと言うのは、上のご機嫌をうかがっているのでしょうか?

昔はもっと多かったなどという声も聞きますが、今の子どもたちの状況が変わってきていて、指導が大変になってきていることはもうみなさんご存知ですよね。そして、教える内容も数倍に増えているし、その内容もむずかしくなっています。昔とは比べられません。


●200名を越えた署名(学級通信NO.199より)
25人学級の署名が、このクラスだけで、200名を越えました。本当にありがとうございました。もしまだ広げられるところがありましたら、まだ受け付けていますのでお願いいたします。

どうして23クラスもあるのにこのクラスだけなんですか?他のクラスにも広げれば、数倍は集まるのに?という声をいただいいます。

どうしてこのクラスだけかというと、本校では組合員は私一人だけだからです。(笑い)

組合活動の一つとしてとられてしまいますので、子どもを通して配付したり、直接校舎内で渡すと何かと問題になってしまうのです。(問題になると言っても、私が注意されるだけですが)

ということで、懇談会でも直接配付しないで、給食台の上に置いておきますので……、という形にしたわけです。

一クラスだけでこれだけの署名が集まったのは驚異的です。感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。


◇マナーと礼儀◇

●マナーと礼儀(学級通信NO.197より)
私は今こそ子どもたちにマナーと礼儀を教える必要があると思っています。

こんなことを書くと、「塩崎さんらしくない」などと言う人がいますが、私はどちらかとうと、マナーと礼儀についてはうるさく言う方なのです。

 #私がマナーや礼儀について甘いのではないかと思われているのはなぜでしょうか?「しおちゃんマン」とかを子どもに言わせているからでしょうか?

子どもにマナーや礼儀を教える前に、大人がなおせ、などという論調があるわけですが、それはそれで正しいとは思うのですが、大人ができていないから子どもはできなくていいということではないと思いますので、大人のことはおもいっきり棚に上げて(笑い)、子どもに堂々と教えてもいいのではないでしょうか。

もし大人のマナーや礼儀のことを子どもにつっこまれたら、それはそれで子どもとそのことについてじっくり話し合えばいいのですから。とりあえず次のことをがんばってみましょう。もちろん、これでけではありません。当面はこのことをという意味で。

◎人の話は、最後まで聞くこと。
・人の話を聞くことは相手の人権を尊重することであることは、国際的な常識だそうです。外国人との討論番組がありますが、あういう人(人の話を聞かずに自分の意見を一方的に言う人)は、タレントであって、一般では考えられないとのことでした。

◎ですます調で話ができること。
・赤ちゃん言葉は卒業しましょう。

◎挨拶ができること。
・道で会った大人に自然に「こんにちは」が言えるようにしましょう。


●割れた風船(学級通信NO.198より)
先週の土曜日の夜、京葉線での出来事です。私は東京から乗ってきました。電車は舞浜駅に着いて、ディズニーランド帰りの家族連れがたくさん乗ってきました。

するといきなりパーンと大きな音がして、みんなびっくりしました。

何かと思って音の方を見てみると、女の子が持っていたミッキーマウスの風船が割れてしまったのです。女の子はとたんに泣き出してしまいました。それを見ていた女子高校生が「かわいそ〜」と言っていました。

ところが、その次に起こったことを見て、車内はシーンとしてしまったのです。なんとその母親(お年をめしていたので、もしかしたら祖母の方?)が、今まさに閉まろうとしているドアとホームのすき間に、その割れた風船の残がいを捨てたのです。しかも舌打ちをしながら……。

それまで泣いている女の子に同情的であった車内はいっぺんにシラケテ、みんな一人ひとりの世界に再び閉じこもりました。

私は、電車とホームの間にゴミを捨てることのマナーの悪さにはあきれましたが、そのことに平気でいられなかった車内の人を見て、まだまだ批判的精神は残っているなあと思いました。

楽観的な見方かなあとも思いますが、シラケタことに救われた気がしました。あの女性の行為を見ても平気だったら問題ですが。


●鉛筆対談ジャンケン編(3/11)
ペアで、鉛筆で対談していく作文を2学期に紹介しましたが、この日は「鉛筆対談ジャンケン編」というやつをやりました。はい、私のオリジナルです。f(^^;;

1)一人一枚原稿用紙を持つ。
2)まず話しかける内容を一行書く。
たとえば、『きょうの給食、おいしそうだね』
3)返事をしてもらいたい人をさがしてタッチする。
4)タッチされたらシャンケンをして、タッチされた人がジャンケンに負けたら返事を一行以上書かなければならない。
5)何人の人に返事を書いてもらえるか、がんばってみる。
6)質問内容は変えてもいいし、ずっと同じ質問でもいい。


●気が合うかなゲーム(3/11)
高学年向きですが…、やってみました。

1)「鬼」を一人決める。
2)いくつか質問をして、答えを書いていく。
3)みんなも書いて、その「鬼」といつく答えが同じになるかで、気が合うかどうか判断する。もちろんゲーム感覚で。


●親の仕事を知らせよう(学級通信NO.201より)
たとえば、お父さんのイメージが「遊んでくれる大人」といったイメージが強くて、働いている大人としてのお父さんといったイメージが子どもにはあまりないようなんです。

先日も子どもたちに話をしたのですが、みんなが学校に来ているときに、お父さんはとっても大変なお仕事をしているんだということを、もっと子どもたちに知らせていきたいなあと思っています。もちろん、ご両親が働いているおうちは、おかあさんの仕事のことも話していきたいですね。

お父さんが仕事をしているといったことを知らない……、というか、実感がわいていなかった子が数人、どんな仕事をしているのかわからない子が半分でした。

私は一度だけ父親の仕事場に行ったことがあるんです。県の職員で土木関係でしたから、工事現場に連れていってもらったんです。まだ学校に行っていなかった頃なのに、その時の父親のせりふまではっきり覚えています。最初に言ったことは、同僚に対して「うちのボーズです」と言ったのです。その言い方がすごくぞんざいな気がして、家での父親のイメージとかけはなれていて、すごく違和感を持ちました。

でも、「ああ、父親は自分のしらない世界で仕事をしているんだ」ということが、強烈に印象に残っているんですね。

別に職場に連れていく必要はないと思うのですが(笑い)、子どもたちに「家族」を教えるといった意味でも、親の仕事を教えていく必要があると思います。そうしないと、反抗的な思春期を乗り越えられないのではないかと不安です。

#反抗的な思春期は、親に甘えつつ反抗し、親を乗り越えていこうとするのだと思います。そういった意味で、子どもたちが「親」を自分の中にどうとりこむのかといった問題はけっこう重要な気がします。


Good Bye (1)『1年間、ありがとう』
この教室も残すところ、あと1週間になりました。1年生として学校に来るのは、もうあと5日です。

この1年間、子どもたちから、父母のみなさんから…、本当にたくさんのことを学びました。ありがとうございました。

来年度、再び担任になるかどうかはわかりませんので、とりあえず、この紙面で1年間のお礼とまとめ、そして書き残したことを順不同で書かせていたたこうかと思っています。よろしくお願いいたします。

久しぶりの1年生でした。また、学校によって1年生の取り組み方が若干違うので、予想以上にとまどいました。

ましてや私は見ての通り、見た目がとても恐いので(笑い)、子どもたちに受け入れてもらえるか不安でした。入学式の日に、人形などを使っていろいろ工夫したのは、そんな私のハンディがあるからです。

しかし、私の不安とは裏腹に、子どもたちは私を喜んで受け入れてくれました。あらためて子どもたちにお礼を言いたいと思っています。

また子どもたち同様、父母のみなさんからも、本当にあたたかい雰囲気で支援していただきました。不器用な私で、まわりが言うには、何かと誤解をうけやすい私だそうですが、そんな私でもなんとかここまでやってこられたのは父母のみなさんのあたたかい支援があったからです。本当にありがとうございました。何かと教師に対する風当たりが強い中で、こんなに恵まれた環境で仕事ができたことを心から感謝しています。


Good Bye (2)『仲間と交流できる力を』
今日は卒業式でした。今の子どもたちは、小学校を卒業するということに関して、どのような思いを持つのでしょうか?

特に、うちの学校は単一校で、すぐ隣の中学校に進学します。9年間、いや幼稚園だったら11年?、保育園だったらそれ以上のおつきあいになるわけです。

もしかしたら子どもたちはあまり「お別れ」といったイメージは持っていないのかもしれません。

ただ、新しい環境に対する不安は大きいようです。特に、全国的に中学校は大変だという情報が広がっていますから、子どもたちの不安はなおさらです。

#T中の先生は、本当に一生懸命指導してくれます。

一番の不安は、先輩・後輩の関係です。先輩にいじめられないかなあといった不安です。関連して部活動のことも不安なようです。続いて先生に対する不安。そして高校入試を見通した成績のこと。

そんな不安をふきとばしてくれるのが、友達とのおしゃべりです。つまり友達とおしゃべりができる子は、かなり精神的に安定するそうです。

逆に、どうしても自分一人で考え込んだり、強く言われるほうについつい従ってしまう子は、いろいろ苦労してしまうようです。

思春期は、一人でじっくり考え込む時期であると思われがちですが、一方外側でものすごい情報交換が行われていることが忘れがちです。そういうことがあってはじめて、自分をみつめることができるのです。

いろいろな友達とおしゃべりできる子になってほしいと思っています。いや、おしゃべりができなくても、友達と一緒に何かができる子にはなってほしいです。


Good Bye (3)『教師への風当たり』
教師に対する風当たりが強いです。安定した恵まれた職業のくせに甘ったれているとか、恵まれた環境の中でヌクヌクと仕事をしているとかからはじまり、プロ意識がない、やる気がない、視野がせまい、常識がないなど、ありとあらゆる批判を受けています。そして今吹き出している教育問題はすべて教師の質の問題におきかえられ、教師が事件を起こすもとのなら、それみたことかと攻撃されます。

25人学級の運動でも、教師の質が変わらないと何人になっても同じとか、自分たちが楽をしたいからそんなこと言っているのではないかなどと言われることもあります。

黒磯の先生が子どもに刺されてしまった時は本当にショックでしたが、もっとショックだったのは、殺されてしまったのに、管理的な教師の方が悪いとか、逃げないのはバカだ、などという論調があったことです。我々は刺されても批判されるんだねえと仲間内で話をしたものです。

まさに刺されそうになっても、逃げないでなんとかしようとしてしまう教師の悲しさというか性が、どうしわかってもらえないのかとずいぶんくやしい思いもしました。

外国の特派員が次のように言っていました。

[その1]
これだけ困難な状況にあるのにもかかわらず、教師に対する応援歌がどこからも聞こえてこないのはなぜなのかまったく理解できない。

[その2]
これだけ教師が努力しているのは驚きである。そして、これだけ社会が教師に冷たいのは、もっと驚きである。


Good Bye (4)『みんなに感謝』
1年間で一番思い出に残っている場面を子どもに絵を描いてもらいました。そしてその作文も書きました。コンピューターの授業や遠足が多かったですね。

さて、担任の方は何かなあと考えてみました。う〜ん、やっぱり入学式当日の教室かなあ。大きなしおちゃんマンの絵をつくったり、人形を登場させたり……、うんうん、あの場面が一番思い出に残っています。

子どもたち一人ひとりの顔も覚えているし、握手をした時の手の感触も、なんとなく思い出されます。あの時の、新鮮な気持ちをいつまでも忘れたくないなあと思っています。

N先生のことは、この通信ではあまり書きませんでした。N先生は、M君の介助の先生です。しかし、それだけではなくて、1年4組にとって、とっても大切な役割を果たしてくれていました。

子どもたちは、私に言えないことをN先生に言ったりしていましたし、しおちゃんマンは、厳しい先生なので、N先生に甘えることでバランスをとっていたりしたのではないでしょうか。

4組が比較的落ち着いた雰囲気なのは、彼女の存在が大きいのではないかと思っています。

N先生にも、担任として感謝しています。ありがとうございました。

こうやって考えていくと、「学級」というのは、担任と子どもとの関係ではなくて、そこにかかわる人たち(子ども、担任、介助の先生父母のみなさん、学年の先生、その他の先生)がみんなで支え合っていくものだということがわかります。逆に考えると、「学級崩壊」というのは、そのうちのどこかが崩れてしまったと結果なのではないかと思いました。


Good Bye (5)『私が先生になったとき』

私が先生になったとき   宮沢 賢治 作

私が先生になったとき
   自分が真理から目をそむけて
   子どもたちに 本当のことが語れるか

私が先生になったとき
   自分の未来から目をそむけて
   子どもたちに 明日のことが語れるか

私が先生になったとき
   自分が理想をもたないで
   子どもたちに 一体どんな夢を語れるか

私が先生になったとき
   自分にほこりをもたないで
   子どもたちに 胸を張れと言えるか

私が先生になったとき
   自分がスクラムの外にいて
   子どもたちに 仲良くしろと言えるか

私が先生になったとき
   一人手を汚さずに自分の腕を組んで
   子どもたちに がんばれがんばれがんばれと言えるか

私が先生になったとき
   自分の闘いから目をそむけて
   

子どもたちに、勇気を出せと言えるか 


Good Bye (6)『心に太陽を持て』

心に太陽を持て

心に太陽を持て。
あらしがふこうと、
ふぶきが 来ようと、
天には黒雲、
地には争いがたえなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て。
軽くほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労がたえなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

苦しんでいる人、
悩んでいる人には、
こう、はげましてやろう。

「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。」

(フライシュレン/山本有三 訳)