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しおちゃんマンの1年生日記[1月編]
●1年生日記というよりも、だんだんしおちゃんマンの学校日記みたいになってきてしまいました。まあ、それでもいいかなと思ってます。だって、教室のことは、学校全体のことと切り離して考えられないし、学校のことは、社会の変化のことと無関係ではないからです。
1/8
●[しおかぜ・NO.154・1/8(金)発行予定]下書きより3がっきがはじまるよ! さあ、きょうから、いよいよ3がっきがスタートです。3がっきは、1ねん生のまとめをして2ねん生のじゅんびをするときです。そこで、つぎのことをかんがえてみましょう。
◎げんきなからだと、すっきりあたま。
そのためにまず…、『あさのせいかつをたいせつにしよう!』
・じぶんでおきることができていますか?
・あさのしごとやおてつだいができていますか?
・かおあらいや、はをみがいたりが、できていますか?
・きがえや、ねどこのせいりはじぶんで、できていますか?
・あさごはんは、たくさんたべているかな?
・トイレのしゅうかんはどうかな?
・げんきなこえで、「いってきます」がいえましたか?◎たくさんかいて、たくさんはなそう!
・さくぶんや、日きをがんばろう。
・ともだちのいけんにたいして、じぶんのいけんがいえるようにしよう。◎そとでげんきにあそぼう!
・なわとびをがんばってみよう。
・やすみじかんに、あせをかくくらい、あそんでこよう。◎そつぎょうする6ねん生に、おれいのきもちをもとう。
・「6ねん生をおくるかい」のえんぎを、せいこうさせよう。そのために、れんしゅうをがんばろう。3がっきも、おともだちやせんせいといっしょに、たのしくがんばろうね。
1/8(金)
●お年玉は?
クラス全員の子が、お年玉をもらったそうです。そこで、そのお年玉をどうしたのかを聞いてみました。A.お父さんやお母さんに預けている。…10名。
B.自分で持っている。……………………10名。
C.銀行や郵便局に貯金した。……………12名。もう使ったかどうかは聞きませんでしたが、全員がまだ残っているということですね。
●書き初め
今日は書き初めでした。8:50から、放送で全校に校長先生から書き初めについてのお話があって、それから書き始めました。1,2年生は、硬筆書き初めです。フェルトペンで、
『はねつき こま』
と書きました。#3年生以上は毛筆です。いわゆるお習字。 入学した時と比べると、びっくりするほど字が上手になっています。そんな自分の成長度が子どもたちにもわかるかな?私はこういった季節の行事みたいなことを大切にしたいと思っているんです。理由は、最近の生活体験の中で、季節感がなくなってきたからです。豆まきや七夕などの行事も最近の学校ではなかなかやられなくなってきましたから。
●仕事ができる子に(「しおかぜ」NO.158より)
子どもたちや若者の問題が世間をにぎわしていますが、私は、体を動かして仕事をすることをもう一度見直したほうがいいと思っています。学校でもそうですし、家でもそうです。たとえば……、学校では、毎日掃除をしますが、これは学校をきれいにするためだけではなくて、仕事をすることを通して子どもたちを育てたいといった視点がないといけないのではないかと思っています。ここで育つ「力」とは、
・道具を上手に使うこと。
・物事の手順を考えて、実行すること。
・仲間と協力したり、仕事を分担したりすること。こういった「力」が育ってほしいと思っているわけです。家庭でも同様ですね。それに……、たとえば集中力は、勉強をする過程でのみ育つものではないと思います。生活全体から、そういった力が育っていくものです。
「子どもは勉強をしていてくれれば安心」といった考えは捨てましょう。そして、子どもの失敗が許せて、その失敗の後始末をすることが苦にならない親になりたいなあと自分でもいつも思います。
●外遊びができる子に(「しおかぜ」NO.159より)
昔から「子どもは、かぜの子」とか言って、大人たちは子どもたちに外遊びを奨励してきました。これはいったいどのような意味があったのでしょうか。もちろん、体を大いに動かして、健康な体になってほしいといった願いがあったことはいうまでもありません。しかし、それだけなのでしょうか?私は以下の二つの理由もあったのではないかと推理しています。
一つは、外で遊ぶということと、たくさんの友だちと遊ぶこととを同じ意味で使っていたのではないかということです。今と違って、外に出れば誰か友だちがいて一緒に遊ぶことができたのですから。そして、遊び集団は、子どもたちが自立するためのさまざまな教育効果を生みだしていきました。たとえば、話し合うこと、ルールをつくったりつくりかえたりすること、不正義を許さないこと、弱い子をおもいやること…エトセトラ。
二つ目は、子どもたちに「発見する目」を持ってほしいといった意味があったのではないでしょうか。家の中というせまい空間ではなくて、子どもにとっては未知の世界でもある「外」といった空間に子どもたちがとびだすことで、今まで知らなかったいろいろなことを知識として得てほしいといった願いもあったのではないでしょうか。
いずれにしても、今でも私は子どもたちに外で元気よく遊んでほしいと思っています。
様々な願いをこめて。
1/16(土)
●対話を生み出すゲーム
さて先日の音楽の時間に簡単なゲームをまたまた思いつきました。子どもたちの中に、対話をたくさん生み出したいなあと思っていて思いついたゲームです。1)オルガンの曲に合わせて教室内をあちこち移動する。体育会系のわたくしですが、オルガンもひけます。f(^^;;
2)突然曲をストップし、その時に体も止める。
3)教師がある条件を言ったものを時間内にさがしてさわる。たとえば、「アカ!」と言ったら、赤い物にさわる。5秒以内くらいがよい。
4)テンポよく次々と曲→タッチ→曲→タッチ……と繰り返す。
5)ある時期から、タッチするものを人間にする。たとえば、「髪の毛の長い人!」とか。
6)そしてその後、タッチする条件を、「今日、朝ご飯でタマゴ焼きを食べた人!」とかにする。
7)その瞬間、「食べた?」「食べない…」といった、簡単な対話が生まれます。こういった条件を出すときには、10秒くらいがいいようです。
8)時間内に条件にあった人がみつけられなかったら、その人が鬼になって、条件を言う人になる。鬼がたくさん残ったときは、ジャンケンで決める。
1/21
●たこづくり
今日の生活科で「たこづくり」をしました。市販のもので、セットになっていて誰にもできるものなのですが、これがなかなかできなくて、私の方がイライラしてしまいました。(笑い)まず、糸を結ぶという作業ができません。これで一苦労。次に、子どもたちはすぐに完成を求めるので、一回やってみてうまくいかなかったら調整するといったことをやろうとしないのです。だから、私や介助の先生に「糸はどのくらいの長さ?」とかすぐに聞いてきます。私はわざと冷たくしていたので、介助の先生が質問攻めにあっていました。
やっとできたら、糸はからむは、倉庫の屋根にのせるは、木にからむはで、大変でした。(爆笑)
●灰谷健次郎さんの話(学級通信NO.163より)
20日に、浦安市の先生方がみんな集まって、文化会館で灰谷健次郎さんの話を聞きました。「兎の眼」や「太陽の子」で有名な灰谷健次郎氏です。全体的なテーマは、子どもたちに書くことをもっと指導して、子どもたちとの心の対話を通して子どもたちを育ててほしいといたことでした。
その他にも様々な視点からの話があったのですが、私が印象に残っているのは、学校主義、点数主義に対する批判でした。
たとえば、彼の作品に「ろくべえまってろよ」という作品があるのですが、その作品は教科書にも掲載されています。それで市販のテストもあるのですが、そのテストの問題に「ろくべえが落ちた穴の深さはどのくらいですか?」という問いがあったそうです。する子どもの中で「3メートル45センチ」と具体的な数字で答えた子がいたそうです。しかし作品にはそんな具体的な数字は書いてありません。それでその子はバツをつけられてしまったそうです。
原作者としては、3メートル45センチでもいいと思ったのでその学校にどうしてバツなのか聞いてみたら、「そういった具体的な記述がないからバツです」と言われたそうです。
おそらく私でもバツをつけてしまうかもしれません。テストの答えの中に書く子どもたちの心象というか、思いを読み取るといったことがどうしても現場の教師には忘れがちです。水曜日の話を聞いて、もう一度考えなおしてみようと思いました。そのことと、文章を正確に読み取るということは、けっして矛盾しないんだろうなあとも思いました。
●「口」に二画足して
メルマガ読者の方から、漢字クイズのアイデアを紹介していただきました。ありがとうございました。「口」に二画たしてできる漢字を作ります。
<教育漢字>
兄、加、可、句、古、号、司、史、台、右、四、旧、旦、田、申、由、白、目、石<常用漢字>
占、召、囚、甲<人名漢字>
只<その他>
叶、叩、叱
1/25(月)
●ジャンケン(しおかぜ '98 NO.165より)
子どもたちは、学校で複数の仲間達と生活しています。そこには当然ルールや約束事が必要です。たとえば、給食当番や掃除の仕事分担など……、少しずつ子どもたちが自分たちで決められるようにしていきたいと思っています。ある日の、朝の会が終わったときに泣いている子がいたので、どうしたのか聞いてみると、朝のレク(簡単なゲーム)で、グループから一人、前に出て問題を出すのですが、その順番が自分にまわってこないことが悲しくなってしまったそうです。
そのグループは、どうやって前に出る人を決めているのか聞いてみると、ジャンケンで決めていたそうです。つまり、その子はジャンケンに負け続けた(2日間)ということです。
そこで、ジャンケンで決めていいことと、相談したり、順番にしたりするべきなこととがあることを話しました。ジャンケンは便利で楽しいし、負けたら負けたで納得してしまうことが多いけれど、必ずしも平等ではないし、みんなが必ず参加してほしいことや、参加しなければならないことに関してはジャンケンはふさわしくないことを話しました。
このようにして子どもたちは、失敗を繰り返しながら覚えていきます。
ちなみに、しおちゃんマンはじゃんけんに弱いので、どうしてかなあと思っていたら、いつも最初に出すやつが決まっていると子どもに教わりました自分では気がつきませんでした。
何を出してしまうのかは秘密です。(笑い)
●子どもの話す力をのばそう(学級通信NO.167より)
全体の前でなかなか自分の意見が言えなかったり、上手に自分の考えが言えない子どもがいるのはどうしてかなあと時々思います。その子の個性だと言ってしまえばそれまでなのですが、そういうことではなくて、技(わざ)としての「話す」という行為に差があるのはどうしてかなあということです。
子どもって経験をつめば、どんどん技を獲得していくものだということを今年私も子どもたちから学びました。
としたら、話すことについても、どんどん経験をつませてあげたり、話をしていく場面を保障していくことが大切かなと思いました。
まずそのためには、家の中の時間がゆっくりとすぎていくといった空間が必要だと思います。なぜなら、時間があわただしくすぎていく中では、どうしても親の方から話しかけてしまう場面の方が多かったり、子どもの話をじっくりと聞いてあげることができなくなるからです。
次に、一緒に何かをやるといった場面をたくさん作っていくことだと思います。なぜなら、話を聞いてあげることの前提は一緒にいることだからです。それに、一緒に仕事をする中で共通の話題が生まれたりするからです。
最後に、子どもの話に対して、一つひとつ相槌をうってあげながら、子どもの話をふくらませてあげることです。「それがどうした」「そんなこと、どうでもいいでしょ」「そんなことよりも○○を先にやりなさい」では、子どもの話す力はのびていきません。
私自身も見直していきたいと思いました。
●暴力で暴力が無くせるのか?
「暴力をふるうなと言っただろ!」と言って、感情的に子どもに「暴力」をふるう教師がなんと多いことか。
●ダンゴ三兄弟
久しぶりに子どもの歌でヒットしそうな曲が出てきました。教育テレビでよくかかっている『ダンゴ三兄弟』です。私のクラスの子どもたちはこの歌が大好きです。ニフティーの教育実践フォーラムで話題提供したところ、たくさんの反応がありました。全国的に話題になりそうな曲です。
最近は、ポケモン系の曲ばかりでしたから、こういった曲が子どもたちの間でヒットしているというのは久しぶりですね。
一度きいてみてください。「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」で時々かかります。
CDは出てるのかな?
楽譜も手に入れたいな。(^^)と思っていたら、月刊「NHKのおかあさんといっしょ」2月号にポスターに歌詞が載っていて、さらにとじこみ別冊にはピアノ譜が載っているといった情報をもらいました。
●もしも作文 ※子どもの名前は仮名です。
(はずき)
もしもわたしが、イルカだったらなあ。うみでいっぱいおよげるかなあ。サメにたべられたらこわいなあ。もしもたべられたらどうしよう。カニさんとか、ヒトデさんとかとあそびたいなあ。いっぱい、あそべるといいなあ。でも、サメとあそぶイルカっているのかなあ。たべられないかなあ。こわいな。ジャンケンでまけてたべられないのかなあ。サメとあそばなかったらいいのになあ。でも、カニにもはさみではさまれないのかなあ。ねったいぎょとあそびたいなあ。あそんだらおうちにかえって、なにかしたいなあ。(みく)
もしもわたしが、しまりすだったら、わたしは、どんぐりやくるみをたくさんあつめて、ふゆのじゅんびをしてから、ごはんをたべるんだ。おうちのまどに花をうえて、げんかんのそうじをして、もうすぐさむくなるから、あったかいものを森からあつめて、ふとんをつくるんだ。そして、あそびにいくんだ。いっしょうけんめいはやくはやくはしって、おともだちをたくさんよんで、おいかけっこやかくれんぼをするんだ。まけないようにがんばるぞ。わたしの名まえは、チュー(みく)、おともだちの名まえは、三人いるよ。一人目はハム(なつ)ちゃん、二人目はりす(まゆ)ちゃん、三人目はミノ(みり)ちゃんだよ。たのしくあそんでからねるんだ。「おやすみなさーい」(まさお)
もしもぼくが、しずくのぼうやだったら、そらからふってきて、おちたところでじめんにすいこまれて、げすいどうにはいって、いつのまにかだれかにのまれて、おしっこになって、そしてトイレの中にはいって、ずーっと、のまれたり手をあらったりされるかもしれないな。たのしいぼうけんだったな。(よういち)
もしもぼくがカルタだったら、びしびしたたかれたら、おなかがいたくなっちゃうかもね。よみふだがぼくをよんだら、たたかれるとき、じゃんけんだったらよかった。カルタがおわったら、はこの中でおひるね。カルタのおひるはダンゴ。ゆうはんは、カレー、あさがきたら、あさごはんはパンです。(りょうた)
もしもぼくがランドセルだったら、なげられたくないよ。らくがきされたくないよ。シールはられたくないよ。すてられたくないよ。(そうすけ)
もしもぼくがふでばこだったら、えんぴつとけしごむが、なんこかいれられて、でも、こわれたらいやだなあ。だれかにいたずらされたらいやだなあ。だれかにたたかれたらいやだなあ。でもいろんなものをいれてくれたらいいな。いっぱい、いっぱいつかってくれたらいいな。名まえもちゃんとかいてほしいなあ。(ゆういち)
もしもぼくが犬だったら、おさんぽや、あそんでもらいます。うちの人にボールをなげて、とりにいってあそびます。犬になりたいりゆうは、かわいいからです。あと、おかあさんがすきだからです。じぶんもすきだからです。犬だからです。なってみたいです。おわり。
●学級崩壊再び
ここ数日、またまた「学級崩壊」がマスコミに取り上げられるようになりました。また、その実態を調べるため、有馬文部大臣は、現場の教師から直接、意見を聞いて、具体的な対策づくりに乗り出すことになったそうです。しかしその中身は…、とりあえずアンケートなどによる実態調査をするなどとあいかわらずのんきなことを言っています。まずやるべきことは、30人以下学級の早期実現と、専科や実験助手、さらにはTT(ティームティーチング)などの教員をふやすことです。
また、教師だけでなく、養護教諭や用務員をはじめ、事務や図書館司書、カウンセラーなど、様々な専門的な仕事をもった職員を学校に配置することです。
さらには、学校行事やきまりなど、地域住民のみなさんの声を大いにとりあげ……、つまり取り上げられるような組織づくりにつとめて、子ども・父母・教師の三者協議による学校運営を進めるよう各学校に指導することです。
これらの努力がまったくなされないで、教師の質の問題や家庭のしつけの問題にすりかえていくのは違うのではないかと思うわけです。
[参考]※現代教育新聞ニュースより
米紙ワシントン・ポストが、日本の「学級崩壊」を一面で取り上げ、「おしゃべりや手に負えない生徒たちの無秩序なサーカス」になっていると報じました。同紙では、日本の子どもたちがスナック菓子をよく食べることや、両親の離婚、働く母親の増加、コンピューターゲームにふける時間が長いことなどが問題になっており、その上、日本社会の変化が学校と生徒の摩擦を生み少子化による過保護が「わがままな子」を生んでいると指摘しています。